http://anond.hatelabo.jp/20090308195050
じゃあ、技巧に感動してやればいいじゃない。VOCALOIDエンジンはライブラリつきで販売されているサンプラーという「楽器」のスタイルで作られているんだから。
実際ボーカロイドの曲のファンには「ソフトウェアでこんなに人間が歌うような歌わせ方ができるなんて、なんてすごいんだ!」
という感想を持っている者だって多くいるだろう。
bk1みたいにチェックした商品をまとめて処理させてくれよ。カートの中に2,3年前に
放り込んだまま興味を失った商品が数十件溜まってて価格改定の度にずらっとどうでも
いい商品の情報が表示されるのが鬱陶しい。でも1件処理するごとにリロードされるのが
かったるくって消していく気にもなれないし…。
余計な商品を買わせようとする事にあれだけ熱心なのに、こういったobviousな使い難さ
が改善されないのは何か思惑があるんでしょうか?
話は変わるけど、講談社は坂口尚のマンガ文庫再販する気無いのかなあ?比較的入手が
容易な『VERSION』はともかくとしても、『あっかんべえ一休』すごーく欲しいんですけど。
ただまあ実際、量の割合いとしては日本ダメ論8に対して日本すごい論2くらいだとは思うけどね。
日本○○論という論じたいが好きなのはあるんじゃないかなとは思う。
例えばブラジル人のブラジル○○論の語られ頻度と、日本人の日本○○論の語られ頻度では日本の方が多いと予想する。
なんかすごく自意識過剰っていうか。
流行ってるテクニカルタームを使って何かを言っちゃいけないの?
君は文芸春秋のインタビューほんとにちゃんと読んだ? (「イスラム原理主義」という言葉を見るとイスラム教全体に偏見を抱くような勘違いをしているようだが)
はっきり言おう、それは君の被害妄想だ。
最後の4行でぐっときた。正直ちょっと涙ぐんでる。自分と同じような人(だと俺が勝手に思える人)がこの世に入るんだと思うと、悲しいやら心強いやらでわけのわかんない感情が。
世界をごちゃ混ぜに一つにしようとしてる人がどれだけいるか知らんけど、
彼らからしたら、そりゃ戦争とかは悪だから批判してるんでねえの?
それ自体は特にダブスタには見えないけど。
いつも「うわあ・・・言い過ぎた」とか落ち込むことがある。
人が言っては欲しくないものを言っちゃうんだよなー
たとえば
友「◎◎やりたくねー」
自「じゃあやめたら?」
のようなやりとりなんかはよくあってしまう。
いつも言わないようにしてるんだけどつい口にでちゃうときがある。
いや、分かってるつもりだ。
そんなのは他愛もないことを口に出してるだけであって、
否定しにかかるようなことじゃない・・・
うーん
どうすれば。
そうだよな。
「日本は特殊でスゴイ」とのたまう本のまあ売れること売れること。
「ヨーロッパ人はいつも日本の話をしている」とか「世界が見たニッポンの品格」とか
正直もうお腹いっぱいです。
ちょうど卑怯者に腹を立てて泣き寝入りしているときに、
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20090309/1236558698
自分も正直なあまり馬鹿を見るタイプだけど、まあできんことはできんのだし、諦めつけたよ。
要領のよい知人に合わせたところで似た者が寄ってくるだけだろうから距離をとる。
で、自分は自分の生き方に合う道を作ればいいじゃん、と思うことにした。
それからなんとなく人間関係がシンプルになった。友達が激減した。
が、同じような考えの人が残った。話しててすごく気が楽。
少し気が楽になって、振り返って気付いた。
周りに文句言えるほど自分がすべてに誠実に生きているかといえば
そうではないんだよな。誰もが何かを騙しながら生きている。正当化できない部分がある。
そうすると妬みなんてものはすごく局所的なものに見えてくる。
同じ狡さ卑怯さでも、妬んだり妬まなかったりする。つまり「正しくないから妬んでいる」のではない、ということ。
ってことは妬みってものは、どこかしら自分の生き方に不信感を持っているにもかかわらず
自分を正当化したいから生まれるものなのだろうと思うようになった。
本当に自分が正直だと思っているなら、妬む必要はない。っていうか妬んだら負けなんだよ。
そういう、自分の中の正直ではない部分も含めて、
何か一点譲れない部分を作るといいよ。爺の言うとおり。
誰かに勝つことではなく、その一点を遂行することに目的をシフトする。
これが最強の生き方、というか、精神的に最強の状態だと思ってる。
なんかすげーひでーやつとか居ても平気でスルーできる。
自分はそこまで成り下がりたくないと思うと誇りすら持てる。
泣き寝入り上等。試合に負けて勝負に勝つ。こうなるともう独り不敗神話。
その上で、変な妬み嫉みがないから、憎むべきものは根拠を持って憎むことができるし
自分の狡さにも相手の狡さにも、多少は寛容になれる。すごく気が楽になる。
どうしても妬んでしまうのなら、その部分は染まってしまえばいいよ、と思う。
で、人を妬む気持ちがなくなった。
自分はおそらく負け組まっしぐらだと思う。結婚できないかもなあとも思う。
だが、結婚できなくても金がなくても、そのことで周りに馬鹿にされたとしても
自分は馬鹿ではないし、周りより優れていると思ってるんだけど……まあ、馬鹿なんだろうなあ。
しかしあれこれ妬むしかなかった頃よりは性格がよくなった気がするよ。これじゃ駄目だろうかねえ……。
「正論原理主義」というのは否定的なレッテルとして使ってると思う。
盲従してるのもいるが盲従させようとしてるのもいるだろう。いずれにしろカルトと同類だ。
「大作家が言ってるんだからお前ら正論言うなよ」みたいな虎の威を借る狐状態?
村上が言うからそうだというつもりじゃなければ、わざわざ「正論原理主義」とか「壁と卵」とか村上の言葉持ち出して自分の主張権威付けする必要もない。
ああまあその線はあるかもしれない。
ただその件に関してはそうであったとしても、価値観の断絶論自体が無効になるってわけでもないと思うんだ。例として出したものが不適切だっただけで。
国の垣根を取り払うに当たって、逆に溝を深くした罪を糾弾している、つうことなんじゃないの。よく知らんけど。
同意。
それプラスして、国家や民族の違いを否定して、世界をごちゃ混ぜに一つにしよう的な理想を持った人たちに限って戦時中の日本の罪をたからかに歌い上げたりするからわけがわからない。
国家や民族という垣根が存在しないのであれば、戦時中の責任を問う対象自体が存在しなくなるということではないんか? それなのに罪の場合だけ垣根を持ってくるって、それはレイシズムだろうと思う。
赤穂浪士の価値観の元になってる朱子学は中国のものだから、外国人だからわからんともいえないと思うが。ひょっとしたらわからない価値観だと思ってるのは日本人だけで多くの外人は理解可能かもしれない。日本特殊論を言いたがる日本人って多いし。
つまり、君が言いたいのは『村上の「正論原理主義」という言葉を肯定的に捉えている人間は、権威に盲従しているだけに決まっている。俺がそう思うんだからその通りなのであって、根拠を示す必要なんかない』ということでオッケー?
部下の仕事に不手際があったら殺して責任を取らせる、という価値観の流れではあるかもしれないけど、もっと前からありそうな気はするな。
一度うわさが立っちゃったら「もうお嫁に行けない!責任取って!」の世代なんだろ。
細かく言えば日本人同士でも当然断絶してるんだけどさ。
ころころ判決を変えるべきじゃないのは別に最高裁に限った話じゃない。
心の病気を持っているから月に何回か、産業医と面談するんだけど、
「会社にきたくない」「なにもやるきが起きない」とか言いながら
何度も何度も、面談の度に。
職場、仕事に取り組む姿勢に関するアドバイスは1度もないのが面白い。
僕の話を聞いていますか?
何の為の産業医なんだろう?
仲良い女友達とその友達とで話していて
その友達があるとこに行かないかって誘ってて
「彼氏も一緒に来ればいいじゃん」とか言ってて
俺は「そうだよ。行ったら?」って言ったら
「いや、あんたのことだから」って。えー???
そっからは「え、付き合ってたんじゃないの?みんなそう思ってるよ」だって。
女友達はこっちの方見て「付き合ってるのかな?」だって。
その女友達とは確か初対面の時に彼女がノートに書いてた絵を褒めたのが
きっかけでなんか話すようになって、彼女から
「××に行かない?」って誘われるようになって一緒に行ったりしてた。
ちなみに彼女は背が小さくて、声も小さくて、無表情なのがマイナスだけど、けっこう可愛いのかも。
別に一緒にいても肉体関係なんて一切ないし、手触ったことすらない!
付き合ってない!!確かによく一緒にいるしお互い恋人いないけど、でも付き合ってない。
それなのに、彼女は「付き合ってるのかな?」だってさ!!
これは単にからかっているのか、それとも本気で付き合いたいと思っていてそのための王手なのか、
もうワケがわからなくてこえーよ。いや、本気でこれってどうなの?