「哲学者」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 哲学者とは

2024-05-22

anond:20240521142537

エーテル形而上学とか真面目にそういうもの研究されていたこともあったものの、現在主流の学問に完全論破されて跡形もなくなった。

哲学者だと現代でも形而上学を形を変えて信じている者も多い。ただその主張はどれもデタラメしか言いようがない

2024-05-19

わびさびの基本

わびとさびは、日本重要美的概念

わび

わびとは、新鮮で素朴なもの

シンプルさと静けさを表し、素朴な美しさも取り入れている。

自然によって作られたもの人間によって作られたものの両方が含まれる。

また陶磁器流れる釉薬によって作られる模様のように、全体に優雅さと独自性を与える偶然の要素 (あるいは小さな傷さえも) を意味することもある。

さび

さびとは、年月を経て美しさを増すもの

経年変化のことを指し、使い込むことで変化していく概念が、物をより美しく、より価値あるものにしてくれるかもしれない。

これには、人生のサイクルを正しく理解することと、損傷を注意深く巧みに修復することも含まれる。

その他の見解

「わびとは、素朴でありながら洗練された孤独な美の性質です。さびとは、青銅緑色腐食であれ、木や石の苔や地衣類の模様であれ、風化と経年変化によって生じるその特質です。」- 精神の反映:アメリカ日本庭園マギー・オスター

「もともと、日本語のわびとさびはまったく異なる意味を持っていました。さびはもともと「寒い」「痩せた」「枯れた」という意味でした。さび本来社会から離れて自然の中で孤独に生きる悲惨さを意味していました...14世紀頃両方の言葉意味は、よりポジティブ美的価値観の方向に進化し始めました...その後何世紀にもわたって、わびとさび意味は大きく交差し今日ではそれらを分ける境界線は実際に非常に曖昧になっています。」- 「アーティストデザイナー詩人哲学者のためのわびさび」、レナード・コーレン

「わびという言葉は、翻訳には向きません。孤独寂寞、素朴な素朴さ、静かな風情、骨董品に対する優しい愛情、気取らない、そしてむしろ憂鬱な洗練など、さまざまな意味を持ちます。」- 「日本建築古典的伝統現代版」数寄屋の流儀伊藤貞二、二川幸雄

「...小堀遠州桂離宮設計者として広く知られている男。建築庭園適用された遠州様式は、宮廷伝統優雅さと優雅さと、千利休が好んだ厳格な素朴さを統合したものでした。この組み合わせは、思っているほど突飛なものではなかった。なぜなら、利休さび(人里離れ、静けさ、牧歌的簡素さ、自然への近さを暗示する美的理想)は、長い間伝統的な日本人の顕著な特徴であったある種の現実逃避的な要素に似ていたかである。」- 「桂 王子の隠れ家」内藤彰、西川丈志

「わびさびとは、不完全、無常、不完全なものの美しさです。控えめで謙虚ものの美しさです。型にはまらないものの美しさです。...わびさびに最も近い英語はおそらく「rustic」でしょう。 ……わびさびものは、研究されておらず、気取らないものである……彼らの職人技は、見分けるのが不可能かもしれない。- 「アーティストデザイナー詩人哲学者のためのわびさび」、レナード・コーレン

「侘び寂びは、謙虚さ、抑制、単純さ、自然主義、奥深さ、不完全さ、非対称性を特徴とし、シンプルで飾り気のない物体建築空間を[強調]し、時間と手入れが素材に与える穏やかな美しさを[称賛]します。」-「はじめに:茶の湯」、裏千家シアトルホームページ

「荒々しさに対するある種の愛が関係しており、その背後には隠された美しさが潜んでいて、私たちはそれを独特の形容詞で渋い、侘び、寂びと呼んでいます。...この内に秘められた美しさを渋いと呼んでいます創造者によって鑑賞者の前に提示される美。鑑賞者が自分自身で美を引き出すことができる作品世界には、それぞれの性質環境に応じて、美のさまざまな側面が溢れていますしかし、その味わいがさらに洗練されていくと、必然的に渋い美しさにたどり着くのです。」- 「知られざる職人:美への日本洞察」、柳宗悦バーナード・リーチ

日本滞在中、渋いという言葉を頻繁に聞いたことがあるはずです。この言葉英語に正確に翻訳することは不可能です。「厳格」、「抑制された」、「抑制された」、「陰気」、これらの言葉は許容される代替品に最も近いものです。語源的には「渋い」という意味で、奥深く、控えめで、静かな感覚を表すのに使われます...この単純な形容詞が最高の美しさの最終基準です。」- 「日本民芸柳宗悦

2024-05-16

最近オタク用語

Twitterとかみてると知らないオタク用語が当然のように使われている

昔はなんかそういうインターネット用語辞典みたいなのがあって、元ネタかいから使われ出したとか解説があったけど、最近全然そういうのない気がする

○○用語wikiとかすごくたくさんあったような?

最近気になったやつメモ

・(主に公式が)お出しする/される

腐女子界隈で多用されているらしい?TLにも1年前くらいから現れるようになった気がする

初出は今検索したけどよくわかんなかった

・おハーブ(ですわ)

vtuberが言い出したのが元ネタ?○○で草をお上品に直したものらしい

TLのvtuber勢と腐女子勢が被ってるので紛れてくるのかもしれない

異文化ってこうやって接触するのかもしれない

藁→笑→w→草の変遷についてはまとめがあった気がする

・〜なんだよな

別に最近オタク用語っていうわけでもないが、少し前に哲学者文体キモいのでブロック🙌って言っててちょっと面白かった

初出はよくわかんないけど、特有キモさは確かにあるような

他人に話しかける時には特に意識して使わないようにしようと思った

昔は〜だが?みたいな言い回しが多かった気もする


なんか他にもあった気がするので思い出したら追記しようかな

まあ増田が思いつくくらいなので、キモいインターネット用語の変遷については多分専門の人がちゃんと調べてるでしょう

2024-05-13

anond:20230423104346

暇空と井川が対談した時、暇空は東大卒井川に「こいつ賢い!ただものじゃない!」と思われたかったのか哲学者の話を持ち出したんだが

井川はそのネタを知っていて話についていけてしまった

なにか賢そうなネタを出し、それを知らない相手マウントを取るというプランがそこで崩れてしまい、暇空は配信20分ほどで打ち切って逃亡してしまった

暇空は配信から「勝てるネタ」を探して準備してたんだろうけど、井川は調べなくても知ってた

井川Twitter文体が頭おかしい感じだし人種差別激しいクズだけど、知性教養ある東京ボンボンってこういう感じなんだなと思った

2024-05-10

anond:20240510194123

その二人って哲学者なんだ。

作家かと思ってたわ。

おすすめ日本人哲学者を教えて

吉本隆明柄谷行人の本はだいたい読んだ。

からおすすめ哲学者を教えてほしい。

anond:20240509070356

愚かな現代哲学者的な皮肉か?

原理的には脳はメス入れれば治るだろ。脳神経を解釈する科学がまだ追いついてないが

2024-05-09

因果率は哲学者が信じている教義である

哲学者は一つか二つの原因からつの結果が生じると信じているが、

実際は百億の原因から一千億の結果が生じる

どんな一つの結果にも百億の原因があり、どんなひとつの原因にも一千億の結果がある

anond:20240509084153

2024-05-07

anond:20240507210513

社会学者とか哲学者とか、科学系の概念をそれっぽく言い換えるスキルには感服するけど、専門知識を持ってよく読むといってることほとんどめちゃくちゃだよね

2024-04-27

おはよう

おはます

長い長いトンネルを抜けた先は

物々しい工場施設

正門のツツジがきれいに咲いている

ゆっくりと回転するロータリーキルンの上で

ステップを踏むゴーレムさん

『お前もセメント人形にしてやろうか!』

と、画家哲学者のおばあさんが怒鳴り散らしています

増田選手ネコになり

世界平和を願うのですわ

2024-04-19

呉座、雁琳さえぼう裁判の影響でかつての支持者にボコられる

雁琳さえぼうバトルの前には呉座先生騒動があった

呉座先生日本史世界では有名人で著書も100万部以上売れている

彼はアンフェにハマってしまい、女子学生にも教える立場なのに「女に学問はいらない」と実名垢で語るほどになった

人文学者系アンフェ界でよく叩きの対象になっていた英文学者のさえぼうのことも中傷

鍵垢の中でこっそりさえぼうを叩いていたが、フォロワーの中にさえぼう騎士団が潜伏しており溜まりに溜まったさえぼうへの悪口性差別非正規叩き独身叩きを全て流出

さえぼうは呉座を訴え、更には学者の中に女性蔑視集団がいることで女性学問の道が阻害されていると申し立て

キャンセルカルチャーはやめろと、ますますさえぼう叩きが加熱

その中にはフランス哲学者の雁琳もおり、呉座騒動以前からさえぼうを叩いていた古参アンチ

更に激しくなったさえぼう叩きの末に雁琳は大学を辞めさせられ、再就職も難しく苦しむ一方で

呉座はさえぼうと和解しアンフェ界に関わらなくなり、学者活動普通に続けられている

呉座が折れたせいで雁琳さんが苦しめられてるんだぞ

@eK0SV72lWxlYb8L

雁琳さんは呉座勇一と違ってヘタレないのは良かった。振り込んだ甲斐が有った。控訴するだろうから夏のボーナスが出たらまた振り込む。

https://twitter.com/eK0SV72lWxlYb8L/status/1780702477446463735

@ITEYA_Yuji

返す返すも、オープンレター訴訟において呉座勇一が自らのテニュアを最優先しそれ以外の全ての論点で折れてしまたことは日本言論空間に大きな悪影響を与えたと考えざるを得ない。“大いなる何か”のために痩せ我慢の一つもできないならそもそも自らの専門領域から一歩も出てこなければよかったんだよ

https://twitter.com/ITEYA_Yuji/status/1780699707159036328

上山和樹

@ueyamakzk

呉座勇一が私的勝利雇用確保)を優先させたことで、公的には北村紗衣陣営が正しいかのように言説が流れてしまったところがあるんですかね。

https://twitter.com/ueyamakzk/status/1780688166225383455

kous

@honnokinomori

まあ言ってはなんですが呉座さんは最初から腰砕ではありましたけどね。

https://twitter.com/honnokinomori/status/1780684427020140777

@suppaimosuku

呉座さんの対応失笑した

https://twitter.com/suppaimosuku/status/1780608974615921073

2024-04-13

anond:20240412040845

「われわれが見ているものは全て洞窟の壁に写った影のようなものだ」とか言った哲学者がいたっけな。何千年も前の人だったよな。

2024-04-07

昔の哲学者ってみんな同じような顔してるよな

俺はもうおじさんだからみんな同じ顔に見える

2024-04-06

NYT:出生時に「性別が割り当てられる」という主張の問題点

https://archive.md/m3u6E#selection-495.0-495.47

身体性別はない」と主張する能川センセイ、ニューヨークタイムズのまともな記事読まなくちゃ!

 

The Problem With Saying ‘Sex Assigned at Birth

「割り当てられた性」が採用される理由ひとつは、敬意に満ちた婉曲表現提供され、特にノンバイナリーやトランスジェンダーの人々にとっては、厳しい生物学現実のように感じられるものを和らげることができるからである。誰かが「出生時に女性に割り当てられた」と言うことは、その人が生物学的に女性であることを伝える、間接的でより丁寧な方法であると考えられている。この用語は、トランスやノンバイナリーの人々との連帯を示すと同時に、伝統的な性の理解時代遅れであるというラディカルな考えを伝えるためにも機能する。

「出生時に割り当てられた性別」の表現は、善意によるものかもしれないが、進歩ではない。私たち礼儀正しさや連帯感の表現に反対しているわけではないが、「出生時に割り当てられた性」は人々を混乱させ、生物学事実について疑念を抱かせる可能性がある。また、私たち伝統的な性に対する理解を正す必要があるから、このような表現が求められるのでもない。

そうではないのだ。セックスは、私たちの種にとって重大な結果をもたらす基本的生物学的特徴であるため、それに関する誤解を助長することには問題がある。

性差健康安全社会政策にとって重要であり、文化と複雑な相互作用をする。女性男性に比べ、薬物による有害副作用経験する確率が2倍近く高いが、この問題女性の薬物投与量を減らすことで改善できるかもしれない。一方、男性はCovid-19やがんで死亡する確率が高く、殺人性的暴行の大部分を犯す。"割り当てられた性 "が死亡数を増加させるわけではない。重要事柄に関する用語はできるだけ明確にすべきである

影響力のある組織個人が「出生時に割り当てられた性」を推進するとき、彼らは、「セックス」、「男性」、「女性」のような、社会で誰にとっても馴染み深く、性の意味合い議論するのに必要言葉を使うことで、市民が辱められるような文化奨励している。これは通常の検閲のようなもので、特定意見公的に支持することを抑制するものではない。もっと巧妙で、そもそもその意見議論するのに必要な語彙そのものを抑圧しているのだ。

より急進的な「割り当てられた性」の支持者は、生物学事実としての性という考え方そのものが疑わしいと異議を唱えるだろう。フランス哲学者ミシェル・フーコーや、最近ではアメリカ哲学者ジュディス・バトラーに関連するこの見解によれば、性とは何らかの文化生産物であり、赤ん坊に男か女かのレッテルを貼った結果である。したがって、「性別」よりも「出生時に割り当てられた性別」の方が好まれるべきであると主張する。

この立場は、人間自然の摂理から免除されていることを暗黙の前提としている。残念なことに、私たち動物である。有性生物は少なくとも10億年前には地球上に存在していたし、人類進化しなかったとしても、オスとメスは存在していただろう。セックスは、分娩室での言語儀式やその他の文化的慣習の結果というわけではない。

一部の学者によって蒔かれた混乱にもかかわらず、私たち性別二元論人間発明ではないことを確信できる。

「出生時に割り当てられた性別」の問題は、確立された生物学事実から会話を遠ざけ、政治的アジェンダを吹き込むことである私たちは、医学的、社会的、法的な問題に関して、意見を明確に述べ、最善の方針を打ち出すのに役立つ共有言語必要としている。その共有言語こそが、たとえ強い意見の相違が残っていたとしても、相互理解民主的な審議の出発点なのである

anond:20240404103033

2024-04-02

観測意識

量子力学は、測定が行われるまで粒子は重ね合わせの状態、つまり同時に 2 つの状態にある可能性があることを示唆している。

そのとき初めて、粒子を記述する波動関数は 2 つの状態のいずれかに崩壊する。

量子力学コペンハーゲン解釈によれば、波動関数崩壊意識のある観察者が関与したときに起こる。

しかペンローズによれば、それは逆だという。

意識崩壊を引き起こすのではなく、波動関数自然崩壊し、その過程意識が生じるとペンローズ示唆した。

この仮説の奇妙さにもかかわらず、最近実験結果は、そのようなプロセスが脳の微小管内で起こっていることを示唆している。

意識はすべてを包括しており、現実のもの構成しており、物質世界は単なる幻想である、と言う人もいる。

意識幻想であり、実際の現象的な経験意識的な制御感覚はないと言う人も。

この見解によれば私たちは「ただの無力な観客であり、ただ乗り物に乗っているだけ」である

そして、脳をコンピューターとして見る人もいる。

機能歴史的に、蝋の「封印リング」としての記憶という古代ギリシャの考え方から電信交換回路、ホログラムコンピューターに至るまで、現代情報技術比較されてきた。

神経科学者、哲学者人工知能 (AI) の支持者は、脳を、可変強度のシナプス接続された単純なアルゴリズムニューロンからなる複雑なコンピューターに例えている。

これらのプロセスは、意識を持たない「自動操縦機能には適しているかもしれないが、意識考慮することはできない。

意識基本的ものとして捉え、宇宙の微細な構造物理学に何らかの形でつながっていると考える人たちもいる。

例えば、意識は量子領域古典的領域の間の境界における活動である「量子波動関数崩壊」という客観的還元プロセスに関連しているというペンローズ見解が含まれる。

基礎物理学とのそのようなつながりをスピリチュアルもの他者宇宙とのつながりと見る人もいるが、意識現実基本的な特徴であり、生命のものよりもずっと前に発達したものであることの証拠である考える人もいる。

ペンローズは、客観的還元意識科学的根拠としてだけでなく、量子力学の「測定問題」の解決策としても提案していた。

20世紀初頭以来、量子粒子は、シュレディンガー方程式に従った波動関数として数学的に記述され、複数可能状態および/または位置を同時に重ね合わせて存在できることが知られてきた。

しかし、そのような重ね合わせは見られない。

なぜなら、初期の量子研究者にとって、測定または意識的な観察という行為自体が、波動関数を明確な状態位置に「崩壊」させるように見えたかである

2024-03-29

世界情報理論

多世界解釈量子力学観測問題に対する一つの解釈で、宇宙波動関数実在のものとみなし、その波動関数シュレディンガー方程式に従って時間発展すると考える。

この解釈では波束の収縮は起こらず、代わりに重ね合わせ状態干渉性を失うことで異なる世界分岐していくと考えられる。

しか意識がどのように一つの分岐選択するかについては疑問が残る。多世界解釈ではすべての可能な結果がそれぞれの世界で実現するとされている。

意識が一つの分岐を「選択」するのだろうか。それとも意識のすべての可能状態がそれぞれの世界で実現するのだろうか。

この解釈物理学者哲学者の間でさまざまな議論引き起こしている。特に多世界解釈が「存在論的な浪費」であるとの批判もある。

まり観測できない多数の世界を考えること自体論理無駄だというものである

ところでエントロピー一般的には系の「乱雑さ」や「不確定性」を表す量として理解されるが、エントロピーが低下するということは「秩序」が増すということを意味する。

観測によって情報が定まることによってエントロピーが低下するという観点から見ると、系の状態特定状態に「収束」するという意味理解できる。

ここで情報理論について見てみると、観測者が持つ知識が、観測対象に対して影響を与えうるのではないかという疑問が生じる。

ジョン・フォン・ノイマンは、1932年の著書 「量子力学数学的基礎」において、精神現象に直接的に影響を与えないという前提が科学世界観にとって基本的要請であるとして、実験系と測定側の境界を置けなければならないと述べている。

しか観測主体対象エントロピーを低下させるという事実無視することはできない。これは環境対象相互作用した場合デコヒーレンスとは違っているのである

熱力学第二法則では基本的に2つのことを述べており、一つはデコヒーレンスによるエントロピー増加、もうひとつ観測によるエントロピー低下である

観測者が系に知識をもたらすことによって情報が積み重ねられていった結果、現在世界存在すると考えれば、本質的情報理論こそが量子力学の基礎を成していることがわかる。

しかしこの情報理論は諸刃の剣であり、つまり世界の安定性がなぜ保証されるのか不安になるので、当面の物理学要請として量子力学から情報理論の側面を剥ぎ取ることが要求されるだろう。

2024-03-23

anond:20240323182545

同じ轍を踏まないことに意味がある。避けられる無駄な争いは避けられた方が良い

もっとも、偉人の有難いお言葉も、練りに練った哲学者言葉も、近所のおっさんおばさんの言葉も、

自分体験するまでは腹落ちしないので、人類は何千年も同じ轍を踏み続けているんですけどね

 

ただ、良識技術と同じく積み上げられていくものから、より良いものについて考える必要はあるよね

2024-03-22

anond:20240319195447

巨人肩に乗る」って表現は先人の業績の上に新たな業績を積み重ねていくという意味であって、車輪の再発明とはだいぶ意味が違う。 

なお、「巨人肩に乗る」という表現アイザック・ニュートンが使ったものとして有名。(プラトン時代が古すぎると思う)

追記Wikipedia の「巨人の肩の上」という項目に詳しい説明があって参考になります。それによると、

科学者アイザック・ニュートンが1676年にロバート・フックに宛てた書簡の以下の一節で知られるようになった。

私がかなたを見渡せたのだとしたら、それは巨人の肩の上に立っていたからです。(英語: If I have seen further it is by standing on yᵉ sholders of Giants.)

このニュートン手紙原典と見なされることも多いが、最初に用いたのは12世紀フランス哲学者シャルトルベルナールとされる。


 だそうです。

2024-03-18

anond:20240318193536

llmの登場によって私の思考には新たな側面が加わった。うん、私はllmをしばくうちに次のような考えを得た:

言葉意味意味ベクトルである

辞書に載っているような言葉定義は、意味ベクトル説明のために他の言葉意味ベクトルを合成しているわけだ。

もう一つは、言葉意味ベクトルは、時の流れと状況に応じて離れたりくっついたりするということだ。

貴様意味が変わったのは有名な話だ。せいぜいとか、お前、もそうだな。

そして、言葉言葉意味ベクトルは、個々人の知識経験依存する辞書によって個々人に届けられる。

哲学者とかは、その辞書による曲解を防ぐために、できるだけ意味限定された言葉を合成して物事説明しようとする。

あるいは、抽象出来事隠喩意味ベクトルを持たせたりすることもある。

もし自分を表す言葉がなければ、自分意味ベクトルを表す言葉を考えれば良い。

かつて平沢進なんかは、自分ミュージシャンとかギタリスト自称することを嫌い、自己紹介に「音使い」という語を用いた。

お前は?お前の意味ベクトル既存言葉にあるのか?

2024-03-11

anond:20240311201700

哲学者が全員バカだと思ってるやつ」というより

哲学者に憧れてるけど哲学を学んだことはなく

ソーカルに憧れてるけど理系学問でも素人』に見えるよ

anond:20240311200921

ポストモダニズムジェネレータのように、哲学者というのは「何かすごいことを言ってる雰囲気」を重視する生物

賢い人間なら「他人に伝えるための文章」を書くが、この生物はわかりにくいことを言ってドヤ顔している

anond:20240311191806

言い訳じゃないよ。コミュニケーションエラーを訂正したかっただけ。多分俺を哲学者が全員バカだと思ってるやつだと決めつけてるからそう感じるんだろ?

例えば論理哲学論考とかは(前後文脈を読み込んできちんと理解できてるとは決していえないが)すごそうと思ってるよ。

ソーカル事件について理解してないってのは、wikipediaからの雑な引用になってしまうが、下記の点からバカ哲学者揶揄には使えないって話?

ポストモダン哲学」において使われる比喩アナロジー執拗嘲笑しているだけで、思想のもの検討批評はまったく行っていないため、ソーカル行為は「単なる揚げ足取りにすぎない」「本そのものを読んでいない」として事件当初から厳しく批判されてきた[9]。

実際に、その後もデリダを中心とする「ポストモダン哲学」の学術重要性が減じることはなく、現在にいたるまで彼らの思想重要研究対象でありつづけているのは、ソーカルによる批判本質的ものではなかったためだとも指摘される[3]。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん