「かぶり」を含む日記 RSS

はてなキーワード: かぶりとは

2024-02-11

anond:20240118092427

どうしようもなく吐き出しただけの記事にたくさんの優しいコメントが付いていて驚きました。知らない人間自分語りにこんなにも心を寄せて、言葉をくれる人がいるということは私がこれからもこの世界でやっていく十分な理由となっています。本当にありがとうございます

夫がいなくなってから、もうすぐひと月になろうとしている。私はまだふたりで寝ていた寝室では寝られず、リビングテレビ電気を付けたまま毛布をかぶり、そのうちずるりと寝落ちるという夜を繰り返している。

仕事に復帰して、夫のことを考えない時間の合間合間にふと我に返っては「変なの」と小さく独りごちることが増えた。職場風景は何も変わらなくて、取引先の人は私が夫を亡くしたことを知らなくて(そもそも結婚していることも知らないだろうし)何も変わらないみたいな顔をして過ごして、あぁでも今日家に帰っても夫はいないんだっけ。外に出れば知らない人間がたくさん生きているのに、夫だけ居ないの、変なの、とばかり思っている。変なの。

親戚の人や古い友人の人が「あいつらしい死に方やな」とか勝手なことを言うのを何回も聞いて本当に腹がたった。好きなことを好きなようにやって、太く短く生きたな、夫らしいなということらしいけども。もっと生きたかったに決まってるやん。私がもしこの後すぐに何らかの理由で死んじゃったらこの人たちは向こうで仲よくやってるやろとかええ話にしそうで絶対に死んでやるもんかと思ってる。死んだら何も残らないよ。いなくなるだけ。

生活をしながら、ことあるごとに夫へ問いかける日々は続いている。

傷つけたまま逝かせたのではないだろうか。

もっともっと優しい言葉を伝えていれば良かった。

彼の人生のことを思うと、私がいなければ、私と出会っていなければ別の未来があったのかもしれないと思ってしまう。或いは、私が子どもを生んでいれば。

どこかにまだ居るのかな、ということは不思議なほど思わない。身体がない、存在しないことを日々確かめているような感じ。

まだ全然片付いていないので、家のそこここに名残がある。Excelセルコメントがポップする感じでいちいち夫の要素をリマインドされては「もう良いんだ、それは」とひとりで仕舞い込んでいる。居ないんだ、もう。

ご飯を考える時に夫の嫌いなものを考えなくて良いこと。

面白い画像ゴシップ記事シェアすることができないこと。

ねぇ藤浪と千賀がチームメイトになったよ。

このラーメン、好きなタイプやなぁ。醤油シンプルなやつ。

しかけては、返ってこないことがいつか当たり前に受け入れられるんだろうか。

まるで急に身体の一部を持っていかれたような感覚のまま、私は生きている。

2024-01-24

味噌汁が美味しい瞬間の増田酢魔ノン化のゅシイシイ御が留シソ澪(回文

おはようございます

ふとした瞬間、

あ!お昼ランチの話しね。

味噌汁定食屋さんで私があんまり行かないところで珍しく何年かぶりに行ったお昼のランチの昼食は

色々な小鉢がたくさん付いていて全部その小鉢が美味しいの!

捨て小鉢なんてないの!

そんで周りの定食屋さんランチとかも値上がりしてるからちょっとオプションとか頼むだりすると1000円超えちゃうじゃない?

その時行ったところは元々高かったけれど

通常すでにランチが1000円を超える感じで、

周りのお店がだんだん高くなってきているから逆にこのお店が値段が上がってない印象もあり、

もちろん味は間違いないやつで、

その周辺飲食店とそのお店との価格逆転現象が起こっているのよ。

え?逆にリーズナブルじゃね?って思ったぐらいそんな世の中声を大にして言いたい山脈に向かってヤッホー!って叫びたいぐらい。

小鉢は、

菜っ葉を炊いたのと

菜っ葉って言ってもナッパよけろ!技も見きれんのか!って言われる方のナッパじゃない方菜っ葉の方で、

その菜っ葉小鉢

冷や奴ときんぴらごぼうにお味噌汁サラダとかなんかもの凄くたくさんの種類が小鉢ってて、

そしてメインの牡蛎フライ

もうフライだけどホームランよ!ってホームラン級の美味さ!

タルタルソースも添えてあるけど、

タルタルソースもそれだけで美味しい一つのタマサラダのようなゴロッとしたタマゴが美味しくて、

わずタルタルソースを乗せて牡蛎フライを頂くことを忘れていた瞬間の時代シーズンが到来していたの!

ソースもあったから、

偶数個ある牡蛎フライ

半分ずつ同じ数だけタルタルソースソースで付けたり乗せたりして食べたいんだけど

牡蛎フライ奇数個!

最後の1個をどちらの、

そうよ!

タルタルソースソースかのどちらかで食べるかが迷わせるところがなんてエンターテインメントなんでしょ!?って思って、

うーんと考えた挙げ句

塩で行く!

いや行かないわ。

プレーンも捨てがたいけどやっぱりここは

あんまり見た目が良くないけど、

半分囓ってタルタルソースソースで2つの味を文字通り同時に楽しみまくりまくりすてぃーだったの。

牡蛎フライステージはもはやボーナスステージ

そのボーナスステージが終わったと思いきや、

脇役のお味噌汁に手を付けた瞬間、

美味い!ってなったの

てーかまだ持っただけで飲んでないやないかーい!って

文字を書く順番はそうかも知れないけど、

その文脈ではそうかも知れないけど

手にお味噌汁のお椀を取ったと同時にお味噌汁をいただいたと言っても過言ではないわ言い過ぎでないの!

同時に手を取って碗に口を付けて一口味噌汁を飲んだ瞬間!

超絶美味しいお味噌汁だったの!

日頃の見慣れている適当ものとは違い、

なにか美味さの違いを私でもハッキリと分かるぐらいそれは美味しいお味噌汁

良い仕事していますね!でお馴染みの器の目利きの銀次じゃない方中島誠之助さんもそれ言い忘れるぐらいなレヴェルのそうよ、

ガンジーも助走して殴るぐらい!って言い方が物騒だけど

そのぐらい美味しかったの!

私の脳にガツンと美味しいお味噌汁が美味しいお味噌汁がー!ってなったの。

油揚げ上品にぷかぷかと浮いていて、

浮いているからと言って油揚げを鍋に入れたて味が染みていないお味噌汁をまとっていない油揚げでって理由で浮いているわけではなく、

本当にお味噌汁の美味しいのを全部まとったプールサイドに佇んでいるなんか良い感じのセレブみたいな感じの

優雅プールの水面に浮かんでいるお行儀の良いその油揚げは、

ふわふわでだけど完全お味噌汁の美味しいところを全部いっちゃってる感じの。

何と言ってるか言葉意味はよく分からないと思うけど、

とにかく凄い自信なの!

味噌汁まで全部美味しい!

ペキカンなその牡蛎フライ定食

まさにペキカン

わ!幸せ

これのクオリティーの豚汁だったらまさに豚汁なんじゃない?って思うほど豚汁

クラスチェンジしても良いと思うわ!

そのぐらいもうお味噌汁のレヴェルが高いの!

なんか微妙に上手いこと言ってる感じがしてるでしょ?

味噌汁が美味しいからよ!

このお味噌汁の旨さに「美味!」ってなるのは

味噌汁に慣れ親しんでない人ももちろん感じるかも知れない鴨鹿。

そんな鰯気な気持ちに苛まれながらも、

美味しいお味噌汁!そしてご飯

これらが全てお代わり自由という文字通り太い腹になってしまう私!

さすがにお腹いっぱいだったので、

ご飯やお味噌汁のお代わりまでの余白はなかったけれどそんな余裕はね。

そのぐらいもうお味噌汁に感動したところなのよ。

たまに出逢う

個人経営飲食店のお昼のランチの超絶美味しいのに出逢うそんなタイミングを逃さない!

そっぽ向かれたり!ってそれはナンチャンパート

美味さをこの美味さのお味噌汁の味を今日味わったことを忘れないようにここに増田に記し記して記しておきたいの。

うそれは私のメモリー

想い出とも言い換えられるそれは

私の一生の想い出お味噌汁アルバムの1ページを刻むことになったのよ。

味噌汁一杯で、

そのペキカン定食で油断させといて

味噌汁も抜かりなく超越なペキカン度を誇る誉れ高い美味さ!

ああ!「幸せ」って言葉味噌汁せ」って書き換えて辞書に載せて竹内まりあさんがセプテンバーにそのページの載っている項目の箇所をちぎって借りたその辞書返すぐらいな勢いよ。

時として不意に出逢うストリートのそんなお味噌汁に感動を覚えてしまったストーリー

たまには

いいことあるものよね!

うふふ。


今日朝ご飯

ホットドッグしました。

味噌汁で満たされている感じの気持ち今日も反芻できるように、

それとはそんなに関係ないけれど、

重くもなく軽くもない食べ応えのある

このホットドッグにしたわ。

温めて頂くとグッドサウンドを鳴らすウインナーはまるで久保田利伸さん!

そのぐらい美味しいわ。

デトックスウォーター

ルイボスティーウォーラーしました。

お茶っ葉のティーパックがたくさんあるので

いろいろ使いたいので猛烈な勢いで朝のホッツルイボスティーウォーラーよ。

お湯ライフ電気ポットで捗りまくりまくりすてぃー!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2024-01-21

激鬱期に入り目が覚めても部屋真っ暗にして布団を頭までかぶり丸くなってあらゆる刺激を遠ざけている

2024-01-19

anond:20240119172715

ナイスまとめです。

そのわりに70代ってつまらない人間が多い気がする。

今の60代はニューウェーブとかツッパリブームかぶりっ子ブームかいろいろ新しい文化に浴していて新しい日本人を反映しているし、

80代以上はテクノロジー以前のロストテクノロジー(農作業とか)を知っていて面白い世代

なんか中途半端なんだよね今の70代。

2024-01-14

カツラという圧倒的ソリューション

自分の髪は剛毛かつ多毛で、とにかく髪型がキマりにくい。毛量が多すぎて髪を下ろした髪型なんて絶対にできないし、かといって結んでも、正月飾りのしめ縄か?というレベルごんぶとな髪束が出来上がるので、もう何してもダサい美容師さんも「まあ、年取ったら髪多くて良かったーってなるよー」と、今、NOW、美しい髪型になることを諦めてる。東京カリスマ美容師でもこれよ。

それで、youtube見てたらアメリカ黒人たちに人気のウィッグ専門店にいってみた韓国人が出てきて、これだと思ったわけよ。

黒人もまた髪質に悩んでおり、好きな髪型にするのにはウィッグかぶることが多い。今やウィッグとは黒人象徴でになってるレベルで、オバマも好きなTVドラマGleeで主役を務めたリア・ミシェルが「あいつのウィッグウンコしてやりたい」と黒人キャスト悪口を言っていたことが告発され、黒人差別だと一気にキャンセルされたくらいである。

話を元に戻して、ウィッグ、いやカツラである。いやーいいよーこれ。中国製の1500円くらいのやっすいウィッグですら、髪質と毛量が地毛より圧倒的に美人風だから地毛より1000000倍美人に見える。髪細いとこんなにかわいく見えるんだ……とか、髪少ないとこんなにエレガントなんだ……って思える。でもこの商品レビューに「毛量多いです」と書かれてるからマジで自分の毛量の多さにビビるよね。行きつけの美容師も「髪の量めちゃくちゃ多いっすね!10年やってるけど一番多いっす!」って言ってたしな。

というわけで、自分仕事ショートヘアで休日はロングヘアのカツラかぶってる。ショートヘアなのはカツラかぶやすくするため。カツラの、髪細くて毛量少ない自分めちゃくちゃかわいくて愛しい。いつかはこれで仕事も行きたい。カツラメーカーさんありがとう

2024-01-12

女性って人畜無害そう馬鹿そうに「ありがとー」とか猫かぶって言うのが上手いな

電車で目の前でそんな光景を見て思った。

女性にとって最上位に近い重要スキルって猫かぶりな気がする

東大級の頭脳でもなければ

2023-12-30

anond:20231230121813

増田パヨク →肯定

増田で壺、ネトウヨ →右とか左とか関係ない

中立の皮かぶりパヨさんオッスオッス

2023-12-25

クリスマスなのでローストチキンを食べたよ

スーパーの総菜コーナーで2本入って1,100円

いやー、奮発した

この、大きな骨つき肉に豪快にかぶりつくという体験は非常に強く憧れるのだけど、実際にやってみると顔が汚れないように気を使うから肉の味とか味わってる余裕がなくなってしまうのよね

同じ1,100円ならやっすい牛肉を買ってきて自分調理して食べた方がよっぽど美味しいのだけど、せっかくの機会とか余計なことを考えだすと、どうしても肉に豪快にかぶりつく方を選んでしま

まあ、たまにはこういうのもいいかもしらん

でも、近所にケンタがあればケンタ食ってたなあ

2023-12-24

ひょうい ドン!と憑依どーん!って

さすがにタイトルかぶりすぎだろ

漢字に変えてのばしぼう追加したらいいんか?

いやまあ中身はそこそこ違うんだろうけどさあ

インパクトあるタイトルをここまでオマ、パクるのはよくないと思うわ

2023-12-14

自宅のかぶり慣れた布団は最高

でもせっかく潜り込んだのにみた夢は最低

知らない景色で何なのかわからない仕事をしていて理解不能な酷いめに遇って知らない上司に報告したら、

そりゃそうなるよって具合の何回も受けた罵倒を客先から怒鳴られた

どうやってもこうなるのか

もう消してくれおれを

ここでこんなふうにはいたくない

2023-11-22

氷河期世代は何故闘わなかったんだ」と言われても

いつどこで見たかはすっかり忘れてしまったが、リベラル言論で著名な方が、以下のようなことを言っていた。

氷河期世代不況のせいにして就職できず流されてきて、今になって苦しいという。何故20代の時にお国と闘わなかったんだ。今更苦しいと言っても自業自得

仰っていることは尤もなのだが、しかし当時は連帯しようとかデモをしよう、国に掛け合おうなどという考えはないに等しかった。何故だろう? と氷河期世代たる増田は考えて、すぐに結論が出た。

左翼の皆さん、我々の世代に嫌われてたんだよ。左翼にも色々あると言われそうだけど、あの頃の左翼的な思想を持った連中なんて、どれもこれも十把一絡げで嫌われていた。

日教組のせいである。

昭和50年代生まれの我々は義務教育間中、一度や二度はいわゆる日教組アカ教師と遭遇し、嫌な思いをさせられている。かつて学生闘士と呼ばれていたような、親より少し年上の定年間近の老教師が、特に地方の、子供も少なく1クラス30人にも満たないような増田学校にも必ず1人はいて、何かと教育現場を引っ掻き回していた。最近まり聞かれなくなった式典での国旗掲揚不起立や教科書君が代ページを貼り合わせる問題が、周囲を田んぼと山に囲まれたど田舎の我が母校でも起きた。

増田担任にはならなかったが、当該クラスPTA会長の子供もいたことで、その後大人たちの間では大変な騒動にもなっていた。

教師体罰がまだ当たり前だった時代アカ教師は手こそ上げないものの、従順女子児童への露骨な依怙贔屓や反抗的男子児童への横暴な発言は、学年を超えて伝わってきて嫌われていた。

その頃はインターネットがなく、テレビ新聞が主な情報源だった。番組改編時にはよく衝撃映像昭和の記録映像として東大講堂での騒乱やよど号ハイジャック事件あさま山荘に鉄球をぶつけるシーンがよく流れていた。その度に「かつての日本は荒れていたのだな」「その原因を作ったのはあのアカ教師の仲間なんだな」と、幼心に刷り込まれていたのかもしれない。

あの頃は、一部のメディアにも左翼活動忌避する空気が作られていたのかもしれない。いわゆる自虐史観が幅を利かせていた教育業界に新しい教科書を作る会が出てくる一方で、司馬遼太郎によるドラマティックな司馬史観がこれでもかともてはやされている時代でもあった。

高校大学(増田が通ったのは地方駅弁ですらない田舎にあった)と進学するにつれ、ますます左翼的な勢力は目につかなくなっていった。教師教授陣にそれっぽい思想を持っている人がいなかったわけではないが、押しつけることはなく、オルグされる同世代も見かけなかった。他の大学学園祭に行った時、明らかに学生らしくない数人のおっさん垂れ幕の前で9条がー、と威張り散らしているのを見かけたくらいだ。

ちなみに阪神・淡路大震災増田学生時代に起きた。燃え落ちた街、横倒しになった高速道路映像はあまりにも衝撃的だった。現代でこんなことが起きてしまうのかと呆然としたのを覚えている。救援活動に来た自衛隊批判する勢力は、露骨に白い目で見られていた。

オウム真理教問題を起こしたのも同じ年だ。あの頃のマスコミの狂乱は、今の統一教会報道の比では無かった。テレビには毎日のように信者が登場してめちゃくちゃな言動を繰り広げ、一般紙からスポーツ新聞までが彼らについてあらゆることを書き立てた。氷河期世代過激新興宗教に拒絶的な態度をとりやすいのも、オウムや、その他宗教団体が原因である

オウムだけではなく、当時はあらゆる新興宗教団体がしつこい勧誘で嫌われていた時代だったのだ。少し大きな駅に行くと、手相の勉強をしていると称する者は壺や印鑑を売ろうとしてくるし、あなた幸せを祈らせろとつきまとってくる者もいるし、選挙があれば○○党に投票しろ新聞をとれとうるさい。個人情報ダダ漏れ時代ということもあり、これらの勧誘を掻い潜るのは至難の業だった。

増田宗教2世である同級生から勧誘辟易とし、家族の闘病について信仰心が足りないからだと言われた時には速やかに絶縁を申し出た。元同級生が悲しそうな顔をしていたのを、今でも覚えている。かつてはスニーカー文庫を貸しあった仲だったのに残念だった。

働きだしてから、といっても増田就職できずフリーターになったのだが、ようやく田舎にもインターネットというものが普及してきた。2ちゃんねるが登場したが、そこでも左翼馬鹿にされる対象しかなかった。制服強要されているのが虐待だと国際的な場で主張した政治家の息子が笑われたりしていたのもその頃だ。

からその後、若者を中心としたSEALDsが出てきた時はびっくりした。いつのまにか、増田の親世代ですら触れたがらないアカ思想にばっちり染まった彼らは、SNSでつながることに抵抗を持たない世代としての強みを活かし、あっというまに増えていった。いつのまにそんな思想が、もう絶滅したと思っていたアカ若者の口を借りて復活するとは予想外だった。

30歳を超えた増田には、SEALDsの輝きが眩しくうつったが、羨ましくはなかった。主張があまりにも幼く感じたからだ。かつてアカ教師に仕込まれ児童湾岸戦争時の自衛隊派遣に絡めて「戦争には反対です。憲法9条に反するから自衛隊はやめた方がいいと思います」と言わされていたのを思い出させた。このとき自衛官親族に持つ子供が他の学年にいて、家族学校クレームを入れて大問題になった。

増田ネット匿名文化にも浸っていたため、「学生のうちにこんなに顔を晒し発言していたらこの先大変だろうな」と思ったりしたものだ。

結局SEALDs解散したが、その後、リベラルと言われる勢力は以前よりも目につくようになってきた。だがやはり、氷河期世代の姿は少ない。

そんな中で発せられたのが「氷河期世代は何故闘わなかったのか」である

正直に言おう。

我々の世代に、国と闘う余裕はなかった。そんな暇があれば働くことを選んだだろう。

そして、あの横暴で陰険な、アカ教師のような人になりたくなかったのだ。

その結果、「闘わなかった」と怒られる。

今の視点で見れば、何とでも言えるよな。あの頃のリベラルなど、今よりずっと情けなかったのに。

ここからは余談。

数年前、増田が住む街の施設日教組全国大会があり、警察規制線を張っていた。警察が守っているのは、会場へ向かう年老いてしょぼくれた、とっくに定年退職を迎えて何年も経た老人の群れである。みんな「日教組○○県支部」と書いた幟をもって、俯きがちにトボトボと歩いている。総じて服の色は地味で、男女問わず髪の毛もボサボサで、見た目にも元気がない。

その規制線の外、ギリギリ場所愛国的なことを叫ぶ街宣車が止まっていた。車の上から老人たちに向かって元気に「国賊」などとがなりたてている中年男性は、増田と同世代か少し上くらいに見えた。

どこにも若者がいない。交通規制を促している警察官が一番若いくらいだ。

かつてはヘルメットかぶりゲバ棒を手に機動隊に向かっていたかもしれない人々が、中年にどやしつけられ(ほぼ因縁だが)、国家権力に守られながらトボトボと歩いている。

どんな気持ちで歩いているのだろう。会場には共産党代表する大物政治家が来場するとポスターにあった。世代交代を頑なに拒み、トップに君臨し続けているその政治家を見て、彼らの心は慰められるのだろうか。

だが天下をとれなかった彼らも、闘わなかったと言われる氷河期世代も、下の世代からは同じに見えているのかもしれない。これを書いている増田に、左翼日教組共産主義新左翼革マル中核派赤軍派リベラルも、まるで区別がつかないように。

仕方ない、そういうものだ。

これを読んでるみんなは、俺たちのようになるなよ。

2023-11-21

男という皮をかぶりたがる20代女性たち

中身男だからとか性格男だからって言ってくる20代女性はなんなの?

男という皮をかぶりたがる20代女性たち

中身男だからとか性格男だからって言ってくる20代女性はなんなの?

anond:20231120200017

景公は牛山に遊覧して、北方にその国城を臨み見て、涙を流して「どうしようもない、この広大な国を棄てて死んでしまうのを」と言った。 艾孔と梁丘拠はこれに従って泣いた。晏子はひとりかたわらで笑っていた。

公は涙をぬぐって晏子を見て「寡人の今日の遊は悲しい。孔と拠は寡人に従って涙を流したのに、子がひとり笑うのはどうしてか」と言った。

晏子は答えて「賢者を登用して久しくこれを守らせるとすれば、 すなわち太公や桓公が久しくこれを守りましょう。 勇者を登用して久しくこれを守らせるとすれば、すなわち霊公、荘公が久しくこれを守りましょう。 歴代の君がこれを守ろうとすれば、いったいわが君はどの地位でそれをなされますか。

代わる代わる君位は継承されて、君に至ったのです。それなのに、自分ひとりが永久に国を保有しようとなさるのは、後世にとって無慈悲であります

無慈悲の君をひとり、へつらいの臣をふたり見ましたので、わたくしは笑ったのです」と言った。

景公は外出して公阜で遊覧し、北面して斉国を臨み見て「ああ、古より死がなかったならいいのになあ」と言った。

晏子は「昔、上帝は人の死を善いこととしました。なぜなら仁者はそれを休息と受け取り、不仁者は屈服と受け取ります。もし古より死がなければ、 太公、丁公が斉を保有して、桓公、 襄公、文公、武公が宰相となるでしょう。

君は笠をかぶり、賤者の服を着て、くわとすきで田の中で農事従事されるでしょう。死を悲しむひまがありましょうか」と言った。


死が無かったらお前の世界順位もっと底辺になってたんやで

2023-11-20

anond:20231120120834

人生で一番激怒したのは夢の中だった

夢の中では愛する妻と子どもがいて、それが何かされた(内容は覚えていない)という夢だった

凄かった

感情が溢れるというのだろうか?

立ちくらみのように視界は白く、あるいは赤くなり、体は震え制御が効かなかった

頭に血が上る、という表現がこれほど正しいものだとは思わなかった

それから罵声をあげた

これほど大きな声が人間から出るのか?という声だった

ぶち殺してやろうと思い、机を持ち上げ振りかぶり、振り下ろした

まだおさまらねえ、そんな時に目が覚めた

動悸が暫くおさまらず、暫く夢か現実判別がつかなかった

驚いたのは、自分にあれほど怒りを感じる能力があったこ

そしてそれほど人を愛する能力があったこ

齢を重ね三十路を越えてもパートナーはできたことがない自分である

人を愛する能力がないんだろうな、と思うときもあるが

いや、あんなに怒れるのだから、その能力はあるはずだと自分の拠り所の一つとなっている

2023-11-12

めぞん一刻管理人さんは今年63歳

63歳女性が「キャー!」とか言うのだろうか?という疑問はあるが、

しかに本編ではあまり騒ぐタイプではなかった。

おそらくだが、キャーとかぶりっ子するタイプはいまだ50代以下に収まっていると思われる。

まり聖子ちゃん世代だ。

60代以上は由美かおるさんや宮崎美子さんのような感じで、どっしり落ち着いている印象がある。

2023-10-18

ぴんぽーん。0時になりました。

ぴんぽーん。0時になりました。あわわ、はんまでした。1本目がほんのちょっとよくわからない。1列ズラリと並んでうわーと笑いながら叫んで、3本目がいきなり私のストライクゾーンバンドかぶりました。「バンバン」って音が、フクちゃんジャリズム滑るみたいに聞こえました。「今、恋するフォーチュンクッキー見ない!」という彼の発言に対して、「もう全部見ないと終わらなくなった」と言いました。あっという間

Anond AI作成

2023-10-13

おれは猫舌猫背で猫手で猫かぶりだけど猫じゃないぞ

2023-10-10

新海誠の好きなところと微妙なところについて書く

あんまり映画を観る方じゃないけれどね。

ほしのこえ

記憶は定かではないが、おそらくこれが最初に見た新海アニメ

大学在学中はSFに飢えていて、「AKIRA」とか「エヴァンゲリオン」とかを観ていたのだけれど、「ラーゼフォン」にはハマることができなかった。問題は長さなのではないかと思い、26話も見る必要のない映画を手に取った。

この作品が好きだったのは、クラークイーガンが好きだった自分が求めている、別の惑星風景描写があったことだ。僕が映像作品評価するのは、どれくらい思いがけない風景を見せてくれるかだ。火星の大地や、木星イオあいだにかかる雷の橋が美しかった。ヒロインから携帯メールにも確かクラークへの言及があった。

また、日常の美しさを切り取った言葉を、詩のようにつなげていくアニメを見たのは初めてで、そこも新鮮だった。

敵方宇宙人が、鏡像となって話しかけてくるところなど、露骨エヴァの影響を受けているし、詩的な文章村上春樹フォロワーに過ぎないと感じはしたものの、この監督作品もっと見てみたいと感じた。

「僕と彼女の猫」は忘れてしまった。珍しく自分好意を寄せている女性視点失恋の話だった気がする。

雲のむこう、約束の場所

僕が好きな要素がとにかく詰まっていた。架空歴史知的早熟だけれども情緒的には年相応の少年少女、そして天にそびえる真っ直ぐな塔。東京からも見える北海道メガストラクチャーという、自分想像力はるかに超えた世界を見ることができた。

もちろん、欠点もあった。ヒロイン・佐由理を救うか世界を救うか決断を迫られる主人公・浩紀は、セカイ系典型例に感じられて冷めてしまったし、あと、これは前にも書いたのだけれど主人公のやっていることはテロリズム肯定だ。

テロ組織名前も、北海道を手に入れるためなのにアイヌ解放戦線じゃなくて、サハリン樺太先住民族ウィルタ解放戦線だ。ヒロイン祖父名前キノエはアイヌ系の名前だが、そこには一切触れられないし、朝鮮半島のように南北に別れた家族悲劇は、ごくわずしか触れられず、プロットには絡んでこない。つまるところ、政治は装飾でしかない。いいのか。

にもかかわらず、この作品を好きになってしまった。アニメで精密に描かれた東京景色は、当時の僕の生活圏とかぶっていた。自分の暮らす世界彩度を高めた景色は、ぐずぐずとした感傷に僕を引き込んだ。何にもでもなれると、まだかろうじて思い込めていた頃だった。

そして、テーマ曲があまりにも切なく、これがずっと頭の中で流れ続けていた。過剰なまでに作中で繰り返され、露骨でさえある。しかし、悔しいけれども切ない気持ちになるのをやめられなかった。ラストで虚無に飲まれ北海道の美しさで息をのんだ。

自分青春に満足できていなかった僕は、この甘ったるいテーマ曲映画呪縛されていた。批判しつつも、フィルムブックとノベライズを買ってしまうほどだった。これが感傷マゾなのか。

秒速5センチメートル

退屈さを感じる場面や、冗長な個所もあった。でも、日常風景を美しい色合いで描くアニメを他に知らなかった。第2話冒頭の、貴樹が空想する巨大ガス惑星が空にかかった惑星風景は、僕が創作していたSF小説舞台として何度も用いた。

そして、第3話で流れた「One more time, One more chance」ですべてを持っていかれた。ヒロイン・明里と結ばれないラストを見て「そうなんだよ! これこそが人生なんだよ! はっはっは!」と快哉を叫んだ。「鬱エンドだ」「悲しい」と言っている連中を笑っていた。なんてこじらせた大学生だったんだ。これもノベライズを買った。

振り返ってみれば、主人公はいつまでも明里の幻影に惑わされており、サーフィン少女・花苗の気持ちちゃんと向き合っていない。独り身の期間が長かった自分は「応えてやれよ!」とあとになって思ったものだった。そりゃあ、思春期から初めての感情ばかりで、あまりにも未熟で、だから人間関係で目も当てられないような失敗を繰り返すんだけれど、「結局お前モテてんじゃん!」と怒りが湧いた。

後に、貴樹をはじめとした新海アニメ主人公たちはどうやって童貞卒業したのかな、夜のお店かな、などと根拠のまったくない最低な空想をするようになってしまった。自分がそうだったからって投影するなよ。

星を追う子ども

激しくツッコミを入れながら観た作品

統一感のない固有名詞(※僕はファンタジー名前を付ける際には一貫性必要だと信じている。だからアルカンジェリ、ケツァルトル、シャクナ・ヴィマーナと複数言語から安易に引っ張ってくるのを良しとしないし、文法的に怪しいヴィータクアやフィニステラという語も納得できない)、ジブリの表層だけをなぞったような描写主人公明日菜が地上世界と地下世界の両方の血を引いているという重大な設定が劇中ではほとんど描写されないなど、自分が気に食わなかった点は多数あるが、最大の問題点は悪役の森崎(ムスカ揶揄される)のサブプロットのほうが面白く、新海誠思い入れを持っているように感じてしまったところだ。

愛するもの喪失を受容せず(子の喪失ってキーワード村上春樹フォロワーっぽい)、代理品や依り代を求め、神々なり悪魔なりと契約する姿は碇ゲンドウともかぶり、なんにせよ強烈なキャラで、明日菜を食ってしまっている。いっそ明日菜いらなくないか

冥界をめぐり、禁断の知識の代償として盲目になるのは神話的でちょっと良かったけどね。

この頃から、新海アニメを僕はさら批判的に見るようになる。

しかし、作者の意図性癖が透けて見えるというのは一方的に親しみを感じる契機でもある。不完全にゆえに見透かせるものがあり、理解者になれたと錯覚できてしまい、結果的作品を愛してしまうことがある(※これは新人賞を取った作品を読むときもそうなんだけど、「作者はこういうことをやりたいんだろうな。なら、ここをこうすればもっとよくなるだろうな」と考えつつ読むことが多い。創作をしていた人にありがちなことなのかな?)。

言の葉の庭

言いたいことはたくさんある。

けれども、最大の欠点は「何でもかんでも台詞説明してしまうこと」だ。

最後タカオとユキノが見つめあう場面で、高まった気持ちをぶちまけるのだけれど、音楽映像がうるさいなので、台詞なんていらない。

海監督は文章を書く能力はあるのは認めるけれども、「説明小説でやれ」と感じる。「なんでも説明するのをやめてくれ、映画受け手を見くびるな」とも感じた。

そして、鮮やかな色彩がわざとらしく感じられ、反発を覚え始めた。

ただ、この頃から日本古典を扱いだしたのは嬉しい。ささやか愛国心が満たされる。

僕は海外文学が好きなので、逆に外国の人に日本の詩を知ってほしい。

君の名は」「天気の子

観ていない。

言の葉の庭」の一件もあったが、ハッピーエンドになったということを聞いて、寝取られ性癖(というかBSS、「僕が先に好きだったのに」?)を抑える優秀なプロデューサーがついたんだな、とシニカルに考えていた。売れるようになった、大ヒットを飛ばすようになったとも耳にして、新海誠自分からどんどん離れて行ったように感じた。そして、もう二度と新海アニメを見ることはないだろうと思った。友人や尊敬するSF作家が見ていると聞いても、耳を塞いでいた。

君の名は」の予告の「スカート注意、男子目線!」といったセリフにも、新海誠性癖が透けてみるのだけれど、徐々に作者のあけすけな欲望に対して嫌悪を感じるようになっていた。

これは男子出身の僕がそうだからかもしれないけれども、僕には、男性監督女子高生をじろじろ見て偏愛していると気づくと、鬼の首を取ったかのように指摘してやりたくなる悪癖がある。岩井俊二映画を観たときもそうだし、「ラストレター」を観たときは「俺を振った女は不幸になればいい」という怨念を感じた。庵野秀明俳優やってたのはめっちゃ面白かったけどね。

「すずめの戸締まり

ある女性が新海アニメが好きで、じゃあ一緒に見に行こうということになった。ただし、彼女が好きだったのは「君の名は」以降だった。

「お手並み拝見」と思いながら(なんだかんだで楽しみにしていた一方、不安でもあった)観てみると、極めてまっとうな少女の成長映画になっていて驚いた。

被災者のすずめが「死ぬのなんて怖くない」と言っていたのが、逆に震災記憶と向き合い、心底死を恐怖し、逆に生きる実感を取り戻す構成が素晴らしかった。自分を助けに来た謎の女性自分自身だったってのも良かった。周囲の支援必要なのはもちろんだけれども、傷付いた自分を癒すためには、どこかで自分の力を信じて自分の足で立ち上がらないといけないのだ。

ロードムービーとしても優秀だし、周囲の人々が善意にあふれてすずめに手を差し伸べてくれたのも、叔母の環が思わず激高して負の感情をぶちまけるシーンのための溜めだと感じ、よく計算された素晴らしい脚本だと感じた。

今まで肯定的だった(あるいはマスコットしかなかった)猫が、ダイジンという善悪不明存在になったのも面白い。

今まで別の災害という形で間接的に東日本大震災を扱ったと聞いていたが、正面から向き合ったのはとても立派だ。このタイミングでなければできなかっただろう。

恋愛要素を薄めたのも大正解。「シン・エヴァ」を観たときみたいに、「監督大人になったんだな」と感じた。

それでも無念な個所はある。人口希薄になった土地を神々に返すというモチーフと、地震を封じる要石というモチーフが、完全に噛み合っているわけではない(人口が減少している時代から出てきた発想では? なぜそこから厄災が漏れ出る?)。少しぶれている。また、震災は人力で防げる、つまり東日本大震災は防げた、という誤った読解を誘発しかねない面もある。

あとは、震災描写リアルだし、緊急地震速報が頻繁に鳴るので、観ていてずきずきと頭が痛み、かなり気分が悪くなった(御茶ノ水近辺も学生時代生活圏内だったし)。昔は「アルマゲドン」みたいなパニック映画大都市がぶっ飛ばされるのを見たり、「地球大進化」の大隕石地殻津波が起きて日本列島が引き裂かれるのを見て気分爽快になっていたのだが、ある時点で感受性が「まっとう」になってしまったらしい。

ところで、この作品村上春樹かえるくん、東京を救う」のオマージュだとよく言われるけれども、「海辺のカフカ」のパロディも仕組まれている。東北まで中古車ドライブする芹澤青年が車内で流すのが「夢の中へ」だが、「海辺のカフカ」でも星野青年が何を探しているのかもわからない中田老人を連れて車で高松ドライブしながら、「探し物は何ですか~」と口ずさむのだ。誰か気づいてないかな。

そのくせ、村上春樹オマージュにとどめ、影響下からは完全に脱しているように感じた。

疑問点。すずめの三本足の椅子過去自分に手渡されたことで、時間の輪っかをめぐっていないか? 

その他

どの作品かは伏せるが、主人公が僕の名前と同じで、ヒロインから名前を呼ばれるたびに恥ずかしいくらいに動揺してしまった。

当時流行っていたラブプラスをやっていたら、おそらく引き返せないことになっていただろう。

あと、「すずめの戸締まり」に関するウェブ記事で、新海監督が#MeTooのこともあるしパンチラを封じたと聞いて、機を見るに敏だなと感じ、何となく気に食わなかった。正しい判断だと思ったけど、商業性に屈したようにも感じたのだ。正確には、「雲のむこう~」みたいに政治的を雰囲気に使うのをやめたのが、なんとなくタイミングが上手すぎて、逃げ足の早さを感じるのだ。

でも、とっくに青春コンプレックスこじらせオタク向けクリエイターから国民監督に変わってしまったのだ。寂しい。あんなこじらせた作品を書くのに既婚者なのも納得できない時期があった。

まとめ

こういったことを、友人に対してつらつら語っていたら、「それはお前、もう立派なアンチだよ」と指摘された。「アンチじゃない、愛情と憎しみの両方を持っているだけだ。複雑な感情をも抱えているんだよ」と反論すると、「お前が複雑な感情を抱えていない対象なんてあるのか」と笑われた。ひどくない?

これだけ複雑な感情を抱えているので、「君の名は」「天気の子」を見るのがずっと延期になっている。諸般の事情ラブコメ苦手だし。

2023-09-27

何年かぶりに会う人と過ごして。

何年かぶりに会う人だった。

すごくお世話になった人。久しぶりに声をかけてくれて、懐かしくてご飯を食べてきた。

 

変わらないねと言われて、変わりましたよと応えて、簡単に近況を話して、懐かしい昔話をして、帰路に着いた。

 

帰ったら、恋人が聞いてくれるだろう。

「楽しかった?」そこに他意はなく、私が楽しいひと時を過ごしていてほしいと思って聞いてくれる。私だってそうだ。恋人が出かけたときはそう聞いて、どんな会だったか話題で盛り上がる。

 

でも、私は何だか疲れてしまった。

懐かしくて、久しぶりで、確かにあの頃と好意の度合いは同じはずなのに。

 

久しぶりに会うという新鮮さはあっても、私はもう、あの頃の自分をとっくに忘れてしまった。

どんな顔をすればこの人の言う「変わらないね」なのか、自分ももうよくわからない。

 

その人が話す当時のエピソードも、私はいくつかすっかり忘れてしまっていて、代わりに私が覚えているものも向こうはいくつか忘れていて。

 

なじみの友達遊んだ後とともまた違う、少しの疲労を感じながら帰りの電車に乗り込んだ。

 

疲れを少し和らぎたくて取った特急指定席

たまたま隣の方の体臭が私には吐き気を催す恐れがあったので、限界まで耐えてからよその空席にうつった。

 

あの頃の私なら、もっと今日を楽しめだだろうか。

 

嫌だったとか、もう会いたくないとか、そういうのとはまた違う。

 

でも、なんとなく、それだけ、私の今の日常は、私にとっていちばん居心地のいいもので溢れているのだろうと気づいた。

 

恋人はもう寝ているかもしれないが、早く彼に会いたい。

2023-09-24

ちゅんちゅんかぶりら見つけたよ。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん