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はてなキーワード: 軽蔑とは

2007-03-12

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/arisia/20070312

yuki_19762 断絶 悪いけどそういうあなたに私の母はそっくりなんだってば。そして私は母親のそのある種の人間を見下し差別軽蔑する眼差しとそれを隠しもしない恥知らずな魂を心底憎んでいる。

2007-03-10

劇団四季が深夜のバラエティー相手に売春をしていますよ

気高いはずだったあの女がなぜ淫売のようなことをしているのでしょうか?

しかも、軽蔑しているはずのテレビのしかも深夜の馬鹿番組めちゃイケ岡村とは違いますよw。

さて、理由は?

A カネがない

B 蜆がボケ

C 客が入らない

2007-03-04

夢なんか叶わないほうがいい

小学生のときは「ゆうふくなサラリーマン」、中学生になったら「裕福なサラリーマン」、卒業文集の“将来の夢”の欄には、そう書き続けた。どんな内容の仕事でもいい、土日祝日休みで、給料をたくさんもらえるサラリーマンになるんだと、ずっと夢見ていた。

父親は、とある会社社長をしていた。「社長」なんていうと響きは良いけれど、ごく小さな、そして運営が苦しい会社社長なんてものは給料が無いに等しいらしい。会社の運営と従業員給料で一杯一杯だったようで、うちの生活費は全て母親パートに出て捻出していた。そんなわけで、家は貧乏だった。「貧乏暇なし」の言葉どおり、父親はいつも忙しく外を飛び回り、母親パートで家を空けていることが多かった。

友達なんてとても呼べないくらい、狭くてボロボロの借家に住み、衣服は親せきからの貰い物ですませていた。その貧乏ネタいじめられた事もあったけれど、徹底的に仕返しをしたら、いじめられなくなった。代わりに無視が始まり友達は去っていって、ひとりぼっちになった。「これは全て家が貧乏なのがいけないんだ」と、うまくいかないことを全て貧乏のせいにして、貧乏を激しく憎んだ。また、零細企業社長なんぞやっている父親を心から憎み、軽蔑し、大きくなったら絶対に社長になんかなるもんか、サラリーマンになってやると、心に誓っていた。

バイト奨学金高校に通い、新聞配達をしながら(新聞奨学生大学に通った。「一流の大企業サラリーマンなら、きっと裕福なサラリーマンになれるに違いない」と信じ、就職活動では全てそういった企業を志望した。そんな信念のおかげか複数の企業から内定をもらい、そのうちの一社に入社した。多くの人が知っているであろう有名企業で、土日祝日休み。朝から晩まで働きづめになることもない。月収はそれほど多いわけではないけど、ボーナスたまに出る各種報奨のおかげで、年収ベースで換算すると同世代ではかなり高額なほうだろう。入社して5年、「裕福なサラリーマンになるんだ」といういつかの夢が、気がついたらすっかり叶っていた。

夢が叶ったのだから幸せなはずなのに、最近死ぬことばかり考えている。なぜかって、この先どうしたらいいか分からないから。多くの人は「交際→結婚家族形成」と進んでいくようだけど、異性への興味もそれほどないし、子供も嫌いだし、家族なんて持ちたくもない。仕事に生きればいいのかもしれないけど、今の仕事が好きになれるとは到底思えない。趣味といえるようなものは、このはてなくらいなもので、無駄に預金ばかり貯まっていく。夢が叶ってしまい、自分自身はすっかり空っぽになってしまった。こんなことなら、夢なんて叶わなきゃよかった。一生「裕福なサラリーマン」になることを、追い求めていられればよかった。

「夢は叶いました。めでたしめでたし」で、幕が閉じてしまえばいいのに。

夢なんか叶わないほうがいい。

2007-03-03

その日僕は飲み会の帰りで、友人と終電に乗っていた。

ほろ酔いで、もし一人だったら確実に眠っていただろう。

すると、隣に座っていた人が吐いた。

びっくりしたが、とりあえず鞄の中を漁り、助けになりそうなものを探した。

しかし情けないことに、タオルで服と身体を拭いてあげることしか出来なかった。

他の人が、持っていたペットボトルの水をあげたり、駅員さんがやってきて床を拭いたり・・・

と、一時車内は騒然となった。皆、彼を心配していた。

僕の友人は、ただ呆然としていた。

いや、むしろ、迷惑そうにしていた。

この間酔っ払って人前で吐いてたのは誰だろう?

僕はその吐しゃ物を拭いて、水を飲ませ背中をさすり、

代わりに店員さんに謝り、勘定を支払い、

タクシーで僕の家まで運んで風呂に入らせて・・・・・・。

それについて何度も「ごめん」と謝っていたのは誰だろう?

その日のことを思うと、隣にいる友人が憎たらしいやら呆れるやらで、気分が悪くなった。

この人は何ひとつ学習していないのだ。

僕は人前で吐いたことは一度もないのだけれど・・・。

(もともと吐きにくい体質であるし、帰り道に人前で吐くほど理性を失うような飲み方をしないから)

しかし、家に帰り着いて思った。

むしゃくしゃしたからと言って、

帰り道歩き煙草をし、吸殻を川にポイ捨てしてしまった僕も

結局は彼と大して変わらないのかもしれない、と。

それにしても、あの日車内で吐いた人は無事に家に帰れたのだろうか・・・?

(僕は”帰り道に人前で吐くほど理性を失うような飲み方をしない”し、

正直なところ、そういう飲み方をしてしまう人を多少軽蔑しているけれど、

それでもやはり”吐く”という行為は何故人を同情的にしてしまうのだろうか)

2007-03-02

別にいいけどね

あんたがしゃべらないから

話題創ろうとこっちがバカやってんのに

軽蔑するよーな眼でみんな

話題一つでもふってからにしな。

バカ扱いするのは楽だろうよ。

いつもは一緒にいて楽しいけど、不機嫌なときは近づくな。

友達だけど、親友にはならない。

2007-02-26

学歴以前に

anond:20070226150356

文章が馬鹿っぽいのは、そういう狙いで書いているのでしょうか。「・・・ます。・・・ます。」って、読みにくいんだよー。ただの自慢に読めちゃうし。もっと、どう成り上がりなのか、学歴持ってる人と自分はここが違うけど、こういう同じスタンスに立ってるとか、説得力のある書き方をして欲しい。成り上がり(って、言葉の選び方も微妙だが)を信じたいからこその、お願いでもある。

俺自身、実は学歴を信じていて、院卒クラス人間は結構羨ましかったり、尊敬していたりするけど(専門を持っていることはやはり、偉いことだし)、院卒でも俺より馬鹿と思ったら軽蔑します。

尊敬の反対語が、軽蔑って・・・。

anond:20070226144606

こっちの

でも、弁護士使わずに、生活保護とその他の福祉措置との整合性がおかしいっつってお上訴えて

最高裁まで自力で戦い抜いちゃう爺さんとかってにんげんが実際に存在してるから、貧乏でもあきらめんなってこった

のほうが、はるかに元気を与える内容である。具体的だからってのもあるがな。

学歴学歴

俺、三流私大文卒。持っている資格は、普通自動車免許のみ。おまけに、わけあって30にして無職

だけど、(プログラミングも出来ない癖に)オープンソースの世界にとびこんだおかげで、東大院卒クラス人間とタメで話しています。国に表彰されたレベルの知人や、GoogleYahoo技術者ともおしゃべりすることもあります。今度、世界的に偉い人が来日するのにあわせて、いろいろ動きまわって、インタビューします。その通訳国立大学博士課程の人に頼んで、快諾もらっています(俺は英語できないので)。雑誌に記事を書いたことやオライリー(コンピュータ書籍岩波書店)に文章が載ったりしています。

俺自身、実は学歴を信じていて、院卒クラス人間は結構羨ましかったり、尊敬していたりするけど(専門を持っていることはやはり、偉いことだし)、院卒でも俺より馬鹿と思ったら軽蔑します。

ま、人間、やれば成り上がれる、成り上がる方法はひとつじゃないってことで。

2007-02-25

学歴コンプレックスへの対処

http://anond.hatelabo.jp/20070225023217

相手の良いところをほめるのが一番だと思うわ。学歴コンプレックスも分かるけど、あんたには俺にないこんな良いところがある、俺はそれを認めている、だから卑屈になる必要はない、だから俺のことも認めてくれ、と。その前提として、相手の良いところを見つける能力が必要。そういう能力は、比較的頭良いやつとか優秀なやつが幸せ人生送るために、必須のスキルでもあると思う。自分以外はみんなバカ/使えない/尊敬すべき点がない、と思ってしまう奴は、学歴とか関係なしに、嫌われて当然だろう。

まぁ、そういうことちゃんとやってても、それでも妬んでくるやつはいる。あと、どう頑張ってもほめるべき点が見つけられない場合もある。それは自分の能力の問題もあるけど、相手が本当にどうしようもないという場合もある。自分のそういう能力を磨く必要性を認識しつつ、磨きつつ、それでも「相手しきれない」と思った場合は、素直に軽蔑を表に出しても、許される場合もある。もっとも、思い込みって怖いから、うかつに人を軽蔑すると、後で恥かくのは自分かもしれんけど。

2007-02-22

きっと軽蔑するだろう

http://anond.hatelabo.jp/20070221185657

知的障害者知的障害者だから社会から隔離すべきなんて話を聞かされたら、それが本気か否かにかかわらず、そのひとを軽蔑する。しかし、自分のIQはたぶん高くないだろうから、そのひとを白眼視するのにそれを根拠にすることはできない。

「お前らの頭の中身も五十歩百歩だろうが」

だから、こういう風に思うことはできない。ただ感情的になってふざけたやつだと、こころのうちで罵倒することしかできない。まあ、それはいい。とにかく、この鍵括弧の中身には心底腹が立ったのだ。それだけじゃなく「十分賢い人を連れてこれば「健常者」も障害者同然」という意図も気に入らない。しょうもない差別をする人間と、とくに悪いことをしたわけでもない障害者を五十歩百歩だとは自分は思わない。もっと愚かだと思う。いや、同じ軸線上には存在していない。だから「より」でも「もっと」でもなくただ愚かだ。ひたすら愚かだ。そう思うことしかできない。自分は差別に荷担する気は一切ない、しかしそれは自分が「頭のよい人間からみれば障害者と区別がつかないくらいの馬鹿ではないから」ではない。この感覚が本当によくわからない。賢きものをいくらかつくりだして、それ以外は皆誤差みたいなものなんだから仲良くしなさいとでも言うつもりなんだろうか。賢きものは賢いから差別をしないんだろうか。嘘だろう。少なくともこのネタばらしのようなものを読んだかぎり、世界のすべてを見下すことができるだけの根拠を書き連ねているだけにしか見えない。障害者も平均的な人間とやらも馬鹿にしてはいないか。差別的に感じられるのはおれだけか。おれだけなのか。

「もちろん、こうした見解をひとたび口に出せば暴言としか受け止められない。」

これも気になった。これは誰にとっての暴言なんだろうか。平均的な人間にとってか、それとも障害者も含んでいるのか。自分には含んでいるように感じられた。しかし、それは妄想だろう。差別の悲劇的な状況を「告発」しているんだから、そんなことはありえるはずがない。ちょっと文章の構成がまずいだけだ。だけど、

「天に唾でしかないこんな暴論を支持する者は、自分自身が『頭の不自由な人』だ」

こんなことを言っているのだ。知的障害者は『頭の不自由な人』なのか。なに? これはあれなの知的障害の柔らかい表現の仕方なのか? これを侮蔑的に感じる自分はおかしいのか? 頭の不自由 知的障害でぐぐる2ちゃんねる過去ログばかりがひっかかりやがる。それとも差別主義者を差別するのは構わないというのか。

そもそも何を告発したんだ。「頭のいい人から見ればお前らも話にならんほど知能が低いんだよ」という事実認識させることが差別的な人間を批判することになるだなんて本気で思っているのか。馬鹿馬鹿差別するなと言いたいのか。馬鹿馬鹿差別しているといいたいのか。これで告発だなんて馬鹿にしている。何の構造が理解できるというのだ。それで何が変わるというのだ。ちっともわからない。高学歴人間がこれほど噛み砕いて説明してくれてもわからないのだから、きっと自分は救い難い馬鹿なのだろう。自分が何に怒っているのかすらわかっていないのだ。なんて滑稽。道化にもなれない。

IQなんてどうでもいい、現状を描きたかっただけ、自分のIQが高いかどうかわかるはずがない、フィクションかもしれない。そんなことを言っておきながら、つまらない煽りにのせられて自分のIQは高いだとか旧帝の院卒などと属性を詳らかにして煽り返す。それなのに増田で書きやがるのだ。これは他人の成りすましか。そうなのかもな、これはフィクションかもしれない。そしておれの怒り創作だ。ちくしょう。すべてがネタになる。泣きたくなる。ここには何もない、あるのはひとのようなものだ。あるいは生ける屍

2007-02-20

結局、よくわかりませんでした。

結局、よくわかりませんでした、生産性ろんそー。

だけど、山形さんは「アホどもがー」とアホを罵倒しつつもそのアホに割りと分かりやすく説明をしようとしてるのに対して、池田さんは「アホどもがー」とは言わないけど、心底アホをアホと軽蔑しているように読めてしまった。「アホは分からなくてもいいんだよ、アホが」って読めてしまった。最終的に、経済っておもしろそーだな、よく分からんかったけど、今度また勉強してみようかなって思ったのは山形さんの文章でした。むしろ、その辺だけはトリセツだけあって首尾一貫しているように思いました。

全然興味なかったけど、なんか探してみようかな、けーざいの本。

素人向けにおすすめとかありますかー。

2007-02-15

がんばれ

一つは、協力しないよという意志を伝えて、

一つは、この程度も出来ないのかという軽蔑を込めて

2007-02-09

んなこたない

anond:20070208224347

でもオタク男子って、非処女とかを軽蔑してそうだし、腐女子含め現実の女を馬鹿にしてそう・・・

(ごめんなさい、イメージですけど)

そりゃまぁ、恋愛とか以前に貴様、人としてどうよ?みたいなオタク(昨今だとそうだなぁ…SL 止めた馬鹿な鉄とか)ならどうか知らないけど(偏見か)。

一般多数のオタ男子は「非処女軽蔑」とか「リアル女性馬鹿に」なんてしないと思うけど。

俺は少なくともそうだなぁ。それなりにオタ志向だけど、非処女軽蔑する理由とかそもそも理解できん。

あと本題から逸れ気味だけど、読んでると貴女に超惹かれるよ。こういうカノジョほしい。

2007-01-30

先週末に「嫌煙家ってさ」って釣りしたものですが

なんか週あけて引き上げてみたら大漁でびっくりした。なんかアレね。匿名だと普段言えないで鬱屈してたこと言えちゃうのかしらん。やだね。街にいるあの人とか「あのオヤジ死ねばいいのに」とか思って歩いてるんだぜ。もうちょっと寛容の心というかさ云々。あとhttp://anond.hatelabo.jp/20070125164030の人の意見にあるように、煙草吸ってる人に合理的な判断とか求めてもムダ。非合理性を愛してる、というか「身体には悪いか知らんが『魂に良い』んだよ!」とか。そもそも「健康」という概念自体を疑ってる人が多いんだから(暴言)。

感情を持ち出して嫌煙家を叩かずにはいられないのも一種のヒス

http://anond.hatelabo.jp/20070126193727

あー。うん。議論の作法としてそれはその通りなんだけど。

あのとき嫌煙関係のエントリをいくつか読んでて思ったことを素直に吐露しただけで特に叩く意図はなかったんだよ。だってこんな素朴な「感想文」で叩けるとも思わないもの。たしかに叩いてる体にしないと成立しないなーと本能的に思ったからそういう文体にしちゃったけど。増田なんだからかんそうぶんくらい書いてもいーだろ?

男色家ってさ

http://anond.hatelabo.jp/20070126204458

うん。それにすごく近いと思う。

基本的に自分のセクシュアリティホモになることは考えられないけど(煙草をこの先吸うつもりはないけど)、

機会があったらどうなるかわかんないし(吸ってみたら気持ち良くてやみつきになるかも)。

それにいま自分は男色家じゃないけど(非喫煙者だけど)、

男色家に対して「遺伝子を残せないし不自然だからしね。ヘテロ男子衆道に引きずり込むのは迷惑だからしね」とか絶対言いたくないし、言うやつは軽蔑するもの。

リンク先にとんで、えええー…って気分になった

http://anond.hatelabo.jp/20070126210202

残念でした。

例えば、殺人者がいるとする。

http://anond.hatelabo.jp/20070126212932

残念ながら喩えが不適切です。この話題がどこまでいっても好みの問題でしかない以上、法的に禁じられているか否かは決定的な差。

好きになっていいものとそうでないものがあると思います。

思うだけなら勝手ですがオレルールを得意げに開チンするのは恥ずかしいと思います><

全員傷害罪で逮捕して欲しい

http://anond.hatelabo.jp/20070126235827

せいぜいお金持ちか文化人になってロビィ活動をがんばってみてください。

たばこ産業の国際利権構造はなかなか強敵ですよw


しかしさー。ここまで嫌われるってことは麻薬として機能的に欠陥品なんじゃなかろーか。

(あ、だから合法なのね

2007-01-21

日記

見えるものや音や匂いなどが平坦に、平坦な俺に真っ直ぐ降り注ぐ。それは祝福であるなんて脳みそ皺なし。どうにかなって。140センチメートルほどの老女三人が談笑しながら歩いて、向こうからやって、決して俺を見ないのだが、一つだけ言っておきたい。三人はそっくり。俺は、何もかも平坦でつらいというか、しんどいし、だるいなあ。言ってもしょうがないから。音も平坦なのは耳が悪くなったのかなと思いながら、ぼうっときょろきょろばかりしていると急に目がおかしく、ぐわんって明滅し、次第にスケールが狂ってしまう。体も重い。ふにゃふにゃーっと体が背骨ごと折れ曲がって俺は座り込んでしまうともう立ち上げれず。老女はまだ遠くからにやにや歓談しながら近づいて、その所作は極めて小人っぽく、近づくごとに、ああ矢張り小人なんだろ、と確信したくなるほど小人なのだがしかし多分小人じゃないなと心の何かによって思って、落ち着け俺、と呟いたが落ち着かない。そわそわしてしまう。この奇妙さは何なの。あ、今気付いた。なんか俺が小人になっていくようでもあるな。なんでだ、と思っていた。そして、いや、スケールがおかしいのは俺以外のものがどんどん大きくなっているからじゃねえ、と思ったら。寧ろ婆たちはでかくなって、俺が小さくなりだして。あらあら。俺以外がみんな大きくなるのと、俺だけが小さくなるのはどこに区別があるんだ。むずかしいですね。俺以外はどんどん大きく、それか、俺がどんどん小さくなって、ある地点で、婆よりも俺のが確実に小さいと思ったけれどもサダカではない。しょうがないな。俺はガンタンクのように立ち上がってぐんぐんっと逃げたが、小さくなっているので中々前には進まないでその場から遠ざかれない。婆らが、しわがれた声で笑いだした。不穏。気温が下がった。サミー。ひゃーひゃーひゃーと笑う声が、ドーム内のようにくぐもって木霊するのがきもちわるく、むかつく。俺が小さくなるのは止まないし。笑い声も止まないし、耳が聞こえないし、目も見えなくなったよ。今。笑い声だけ聞こえる。何も見える。すべては世界の所為であると僕は直感した。それほど悪辣な、悪魔的な所業。世界の所為にした。私以外のものすべてが世界だろう。私は私のことを省みない婆たちを恨みたいが、しかし、善良幸福そうな彼女らが私利私欲怨恨怨嗟のために或いは意地悪で或いは俺を怒りらせようとしてわざと嫌な風に笑っているのだ、とは思えなかったし、文句を言う気も起きなかった。いづれ止むだろう。と思って我慢した。4秒。しかし、笑い声は止まぬので、俺は益々苛々してくよくよした。それを反復しました。いらいらくよくよしました。疲弊した。もういきていられぬ。婆らは自分がそのような声を出して笑っていることについてどう思っているの、と考えた。知っているのか。受け入れているのか。幾十年前は恐らく婆たちだって花も恥らう乙女だったんだと思うけれど、その時もああやって笑ったのかというと、あんな風には笑わないだろ。少なくともしわがれてはいないんだ。じゃあ今俺をくよくよさせているこの声は何なのか。これが老化か。格好良く言うと老化現象。わからないが。いや。分からないけど、でも、と、私ことあたいは思ったンだ。私たちの住む世界というのは何の断りもなく当人さえ知らぬうちに何もかも変容させるし、それも受け入れないならば死ぬしかないみたいな嫌がらせのようなあくどい世界で、それはまあ何度も何度だっていやになるのだが、しかし死んだからといって願いが叶うとは限らないし、それどころか死んでしまったら自分がその現状さえ維持することも極めて難しくなる。例えば、死んだ自分を自ら死んでない死んでないなどと言ってフォローすることさえ自らが死んでしまっては不可能なんであるからね、というか大体において死んだ身体というものは動かないし死ぬのは怖いし死の先は見えず見えないものというのは大体において恐ろしいものだけどそれが何故恐ろしいかというとそれが何なのか分からないからでまた大体のものというのは分からないものなのでもあるからこそ分かったような気にもなるのな。たぶんだけどね。お前が悪いわけじゃなく、お前が悪いわけでもないんだがお前が嫌い、と思っていた。僕は。そして、気がつくと目が覚めていた。気がつくときはいつも目が覚めていた。ほってんとりを見ていたら、コーヒーをこぼしたらキーボードが壊れた。多くのキーが反応しない、そんななか、kキーだけ自分は押されてると思い込んでkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkってなってる。押してないいよ。キーボードを買いに行く。しかしお腹が、ぐるうん、ぐるうん、ぐるうん、と断続的に、連続的に鳴り続けて止まないのだがどうしたら良いのだろう。お腹の音は本人が思うより周囲には聞こえないものだけれど、聞かれても大人的に知らんふりされるのだろうけどで、さすがに、これは、知らんふりしずらく、見つかったら、奇妙というか珍妙で、恥ずかしい、堪らないなと、僕は舗道をずんずんと早歩いていた。空腹というのは波だから、収まるのを待とう。それまでは、騒音のある郊外にいようとおもったのである。さみーとか思いつつ。考えつつ、ふらふらする。そもそもお腹の音が止まないということはありうるのだろうか。僕は今現に自分で止まないと言っているのにそれを疑っています。疑り深い。ぐるうん、ぐるうん。空腹。自分が楽器になったようだ。或いは虫だな。空洞の胴体が振動している。手はおまけのようにくっついてぶらぶらしているし、足は勝手に歩んでゆくような。頭は余計な下らない装飾のように生えているだけだ。腹が歩いてく。盲目の人を見かける。こんな街中で。赤線の入った白い格好良い杖をもっている。俺のことが見えない人。盲人。意地悪をしたくなる。僕は眼というのが嫌いだなあ。とくに軽蔑の目なんかは胃が痛くなる。敗北感が鳩尾辺りできりきりする。次の朝起きれなくなる。その割りに僕という人は尊敬される人でないし、寧ろ積極的に軽蔑される人だよなー。不思議。世界は絶望で満ちていますか。だって。わらた。いやらしいハッピーエンドいやらしいいやらしいいやらしい。迷惑な命。生まれてきて残念でしたすいませんでしたもうしませんもう生まれてきませんビスケットのすいませんでしたマリーを食べていたら頬がなんだか熱をもってしまい口中は乾いてつばを飲んだら喉が痛うという憂き目である。散々だ。死んだほうが益しだ。菓子ばっか食っている。たまにしか死にたくならない。幸いなことである。なんて幸福なの。なんて幸福なの。自己を規定する際他人というものはとりたててじゅうようで他人なしに自己を形成しようとすると失敗してしまうな。自分とはおそらく社会的なものなんであって他人なしで自己を作っていくと自意識だらけになってしまうのだろ。結果的びに自分の誠実を守るために都合の良いルールを取り入れなければならず、自分中心を後後天的に許容して、独我てきに、あらゆる責任は私に帰するのだとして、私が気持ちよいやうにやる、と言って逃げ回っておるだけで、逆説的に、逃げるのはつらくないから気持ち良いのであって、結局、態度を保留し続けているという極めていやらしい態度で生きている。のうのうと死にもせず、愛されもせずに。おぞましく不愉快生物がいたものである。ああそうだ。何もしてないのに髪が伸び続けるのは俺へのあてつけで、嫌がらせなのだ。爪が伸びるけど爪きりが見つからない。すぐに物をなくしてしまう。数年前のことなんだけど、2ちゃんねるの書き込みの、思春期に愛されなかった人はもう一生愛を知れない、というような断言には呪われてしまっていた。そこまで言い切る根拠はなんだ、気が狂っているのか、こいつと、おれは全く思わずに、静かにゆったりとした時間の中でぼんやり発狂するところだった。精神薄弱である。でも実際、そんな阿呆な、とすら思えなかったのでびびりますね。如何に下らない言説であろうともタイミングによっては直撃的なネガティブ信仰呪いとして無抵抗で受け入れてしまうときもあるものなのだな。少なくとも俺にはそういうところが。俺はそのときは本当に呆然自失して、がびーん、てなってた。もうだめだ。もう。このクソみたいな煽りみたいな2ちゃんレスに中てられているんだけだとは半ば、知りつつも、悲劇みたいな憂鬱的な心地よさにおちついて、徐々に憂鬱浸しになってゆくしな。しにたいとゆって、決して死にたくないのに。死にたいと言う人にじゃあ死ねというのはひどいね。だれのこととはいわないけども死にたいって言うひとはたしかに気持ち悪い。うぜえ。死ねばいいのに。だめなやつら。時折死にたいと呟くやつがいるが、いけないんだぜ、実にいけない、俺は少なくとも本当は死にたくなんてなかった。死んでしまった以上なんとも言えなけれどもね。俺は、つうか寧ろ、なのであるが、生きていない状態を死んでいると言うから、つまり、それは生きているの対義語なんであって、だから、生きたくない、死んだ状態になってしまいたい、という意味死にたいと言ってゆるのであって、まじ死のうとしている気狂いと一緒にすべきではなかった。願っていただけだった。おれは。静かに。死ぬという行為をスキップして死んだ状態になりたかっただけだ。歩きたくなければ歩かなければ良かった。生きたくなければ生きなければ良い。それは馬鹿だ。馬鹿な話だ。この世は極楽だ。歩かないことは簡単であるが、生きないことは簡単ではない。我々はもはや生きないためには積極的に死ななければならない。生きないからと言って呼吸運動を停止するのはつらく、ご飯を食べないのもつらい。痛いのはつらい。そして、だからこそ僕は死にたいと言って死ぬ覚悟を得るために生きない理由を思いつこうとするがどれもこれも結局のところ全く致命的ではないのだ。吃驚しますね。いいから死ね。積極性をもって死にたくない。だって俺は生きたくないだけだ。誰が好き好んでつらい思いして死ななきゃならないんだ。馬鹿か。もういみわかんねえ。せかいはいみわかんねえよ。いいから死ね。命に意味ほにゃららと誰かが言い、クソカルトである不謹慎禁止教徒どもが、わめきちらす思想はすべての命を汚辱に浸している。倫理なんか水伝と一緒の癖に。人なんかみんな死ねばいいんだ。つらいのが嫌なだけで、そういった思想の持ち主は生きていてはいけないのだ。俺はただ動物のように生きたいと言うが動物にしては恵まれすぎている、といって、俺から言語を使うな、火を使うな、道具を使うな、公共を使うな、恥じ入っても生きろ、などといえたものか。動物が有利を捨てたりするものか。あらゆる責任を放棄して、迷惑をかけて、死、ん。うんざりだな。死にたくない。今の生きている状態を回避していたい。つまり死にたいのだが。死んでいたい。最初から死んでいたい。それはできない相談だ。死ぬのが怖い。それだけでなく、実は死ぬ先も怖い。びびっている。地獄なんてないのが嫌なんだよ。俺は。地獄なんてないと人は言うのだ。まともな神経の人間はそう言う。地獄なんてないとまともな神経の人間は人は言うのだが、そんなはずはない。僕に地獄が与えられないはずが無い。平等に与えるべきだ。子犬に、子リスに、養鶏に、俺に。平等に。あらゆる生き物の命は平等である。それは正しい。あらゆる命が平等に無価値だ。正しい。たしかに! そうして価値は常に"社会的"にのみ宿るのであった。ウケル。俺は絶対に働かないと言ってやる。そうすれば少なくとも俺から奴隷的価値はなくなるかもしれない、扱いにくいとして少しは減ぜられるかもしれない。もしかしたらだけど。いいから早く死ね。そうして、俺は不健康だし、やせ細って、いる。だが僕には価値がある。マッドサイエンティスト実験人間としての価値。人間を粉にして作る薬の原料としての価値。まずい人肉としての価値が、俺にはあるぞ。僕が何かの人質になると人道的なんとかと言って誰も俺を望まなくても俺には人質として価値が付与されるのだ。俺は社会的な生き物なのだ。じゃあ鯨も社会的だ。鯨食いてえ。蟻は社会的だ。ライオン社会的だ。カブトムシ社会的だ。カカオ社会的だ。人間なんてくそだ。って鯨が言ってましたよ。どうなんですか。人間。鯨の命はチキンのより価値があるのだろう。ばい菌やビーフやエチゼンクラゲ保健所の犬とかわいがられてる犬と投げ捨てられる子猫野良猫と血統書とかペットとか金持ちの子と貧乏人の子。すべての価値を認めたくない。地獄なんてなかったね。行ってきたけど、ありゃあ地獄なんて呼べるようなとこじゃねえ。よって結論はあの世に地獄なし、ということでね、知ってるわ、じゃねえ。しらねえよ。お前。地獄なんて信じないくせに。いや、あるかもしれないし、死んでみないことには、などと、阿呆らし、論壇きどちゃって? はは、こうしたこまっしゃくれた奴らは駄目さ。なんでもメタに構えちゃってね。俺がメタメタに立って優越感ゲームになっていますね、って、そのレッテル貼りが既に優越感ゲーム、ゆゆゆゆゆって、ですか、阿呆らし、やめよ、どちらにせよ論理的云々などといってはまた保留だよ、永遠に保留し続けますか。まあ、だからと言って地獄存在を鵜呑みにする連中ってのもどうかと思いますけどね、端的に言って宗教者はきもい。宗教は駄目だ。というのは俺が信じれないからだけど。俺に純真がないからなあ。奇跡がない。啓示が。俺に与えられない。これからも与えられはしないだろう。何かを与えられる事を望んではいけない。どのような状況においても。それは甘えなのだ。つらい事をやめてはいけない。それは怠けなのだ。ナマケー。いいからやれ、と、結局はそれへ収斂するよね。あらゆることがそうなのだよ。俺は仮定で、空想上の人物で、空論以外に、何かを実行することが、不可能なのにな。残念だ。あるひとは俺を指して、言語に支配されてきもい、と言ったのだ。たしかに。だった。そういうしかねえよ。本当正しいぶっていますね。俺なんて、いいから死ね、といわれればそれまでである。死ぬしかない。いいからやればー。うるせーばか(ここで絶命しました)。

2006-12-30

http://anond.hatelabo.jp/20061230093518

自分もまあ間違いなく世間一般からすればメンヘラに分類されるであろう時期があった人間だが、そんなんそれこそ十人十色だべしゃ。神経症境界例鬱病統合失調症あたりをひとくくりにしても傾向なんて読めるわけねえし。とあるメンヘラAさんと、別のメンヘラBさんの違いが非メンヘラCさんとメンヘラAさんとの違いよりはるかに大きいなんて場合も腐るほどある。

神経症なんかだとうつ症状が出てる奴はけっこう多いけど、それ即ちうつ病ということではない。

自身メンヘラだというのにメンヘラ軽蔑してるような奴とかメンヘラこそ人間らしい人間だとか言う奴とか、根本的にメンヘルを理解してねーやつとか。

メンヘラのことをメンヘラ自身に語らせると、たいていその人自身のことをメンヘラ普遍的な特徴であるかのように答える。僕のメンヘラ像だって、自分自身のそれだ。

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