はてなキーワード: 演技とは
3話・4話
・心象風景を可視化する演出が、映像的に凝っていればいるほど空回りしているように感じられる。3話のまなびの花火演説にしろ4話の芽生のトラウマ表現にしろ、あまり効果的とは思えない。特に3話、いきなり真夜中に呼び出され、中身のない演説を聞かされた面々がどうしてあのような風景を幻視できるだろう。構造で論理的飛躍をするのであれば、視聴者に対して問答無用のカリスマ性をまなびが帯びていなければならないと思うのだが、そのためのフックが一向に見えてこないので、作中でカリスマ的に演出されればされるほど観ているこちらは冷める。
・4話。脚本が酷い。隠しカメラを通じて芽生が作業風景を覗き観ていた、という事実をまなび・光香・むつきがまだ知らない段階で、芽生がCGを作ってくれた、とまなびとむつきが自然に想像できるのは、思考の流れとして不自然だろう。むつきに一言疑念を抱かせ、それをまなびがいつもの何も考えていない適当な発言で流す、というシークエンスでも挟んであればまだしも。実はまなびは隠しカメラに気がついていたのだろうか。だとしたらどえらいワルなわけで、それはそれで面白いのだが。
・とにかく、「まなび」というキャラクターにまったく魅力が感じられない。とかく合理的思考が幅を利かせがちな現代に対して、無謀な夢を抱くことの魅力、根拠のないエネルギーの発露の素晴らしさを作り手がアピールしたいのはわかるし、私自身も文化を愛するものとして合理的思考の行き過ぎには常に苛立ちを覚えているが、このように稚拙な形で反抗されてもシラケるばかりである。いつまでも全共闘の夢を捨てられない自称「反体制」のおっさんを見ているようだ。
・藍ぽんかわいいよ藍ぽん。藍ぽんの声だけでくやしいけど観続けちゃうよはぁはぁはぁはぁ。
・平野綾は素質はある子だと思うので、誰かきちんと指導してあげて下さい。演技のテンションが一定になってしまっているし、喉に負担のかかりそうな発声をしているので、あんな演じ方ではハルヒバブルが弾けたら早々に潰れてしまうだろうよ。
試写会で見てきたよ。
舞台挨拶もあったが、蒼井優かわいいのな。やはり女優さんだな。和服よかった。
でも蒼井優もオダギリジョーも大森南朋も、みんな口が重い。というか気が重そう。なんか、あまりハッピーな感じではない。
最初は普段からこんな感じの人たちなんだろうと思っていたが、映画見て考えが変わった。
たぶんこれ、出演者には不本意な作品なんではないか。自信持ててないんじゃないか。
だって素直におもしろくないもん。
評価できるとこは世界観とか、よく出てて、神秘的な感じとかね。ああいうのは好きだった。
見入ってしまうシーンもあったんだけどね。役者の演技もよかったと思う。
でも全体的にだめだめ。試写会終わったときの観客の空気もあれれという感じ。
設定が説明不足な感は否めないので(その割に不要なシーンがある)、そこはマンガを読んでないとだめなのかも。
蒼井優が最初で、理解しようとするのではなく、五感で感じてくださいみたいなことを言っていて、ああなるほどねと思った。
そうとしか言えないかもしれない。
女の子(子?) + LOMOでしたが、『ちょいサブカル』位の男性に妙にモテて(というか声かけられたりして)
面倒くさかったので普段使いはデジカメにしました。
僕の友人(男)の話。彼が学生時代につきあっていた恋人は、その前の彼氏によって、スゴい大声で喘ぐように調教されていたそうです。つきあい始めて最初の数週間なら誰でもヤリまくり(学生だしなおさら)、だと思うんだけど、彼の狭い学生用アパートでは、彼女の声は大きすぎて、全体に聞こえていたのでした。彼も少しは気になったのだけれど、彼にとっては、AV で見た以外、初めての経験だったので、まぁそんなもんかな、とあまり気にしていなかったのだけれど、もちろん、アパートのほぼ全体から大家に苦情が行き、大家は僕の友人を呼び出しました。
大家「なんで呼び出されたかわかってるよね?」
友人「はぁ」
大家「その、みんな困ってるんだよ。一応これにサインしてくれる?」
と、渡されたのは、念書。これ以降喘ぎ声で苦情が出た場合には、立ち退きます。と書かれていたとか。その夜彼は恋人に相談して、大声は演技であったと知り、平和に暮らしました、とさ。
さらに本筋からずれていってしまうかも知れないけど。
http://anond.hatelabo.jp/20070220231453
親御さんにどうやって自分の話を聞いてもらったんだろう。うらやましい。
私は18のときに父親が病死して、以来、母親の稼ぎに父の退職金と生命保険金を切り崩したお金を足して、あまり生活水準を下げることもなく残された家族三人暮らしてきた。私と妹は特に苦学することもなく四大を出してもらいもした(それどころか、私は修士にまで進んだ)。
そんなこともあってあまり強く言い出せないのだけど、どうも私の目から見て母親の生活には無駄が多い。父親が生前「母さんは金遣いが荒くてな」と苦笑交じりにこぼしていたことを最近よく思い出す。私と妹の分も含めてだけど、月に数万円は服代に消えている様子(私はおしゃれには関心がなかったので、着ている値段に気が付かなかったのだけど、大学で女友達に指摘されてびっくりした)だし、気が付くと通販で一点一万以上する美容グッズが増えている(どれも一度きり使って終わり)。あと、ストレス発散に歓楽街のバーで月に二、三回朝まで呑んで帰るのだが、その払いも詳しくは言わないが、一度付き合った妹によると二人で二万弱したとのことだ。
一度、さすがにまずいと思って母親と話し合ってみた。しかし、「あんたたち二人を育てるために私がどれだけの重圧を背負ってきたんだと思うの!」の一点張りでヒステリックに怒鳴り散らされ、何度やっても話にならなかった。
たしかに、あまりに無自覚に自分も生きてきたと思う。きちんと勉強して奨学金を貰うなり、学資ローンを組むなりして大学を出ればよかったし、服やその他の面でももっと自立した考えを持っていれば、と今更後悔している。
しかし、そういう暮らしをしながら「お父さんの残したお金、もう使い切っちゃうペースだからさ、老後はあんたらの稼ぎで頼むわね! あんたたちに不自由させないために私の老後の資金を継ぎこんで来たんだからさ!」とか「二人が就職したら、今の借家を出て、あんたたちで三十年ローン組んで老後のための家を買ってよ!」とか、あっけらかんと言い放たれるとどうにも釈然としない。今のところそんな話はどちらにもないが、私や妹が結婚すると言い出したらどうするつもりなのだろう?
こんな状況に追い込まれたからそう思うのかもしれないが、私は、もしも母子という関係でなかったならば、母親のような人間とは一緒に暮らせないと思う。性格的に。派手好きで、見栄っ張りで、他人から認められることに飢えていて、基本的に自分のことを悲劇のヒロインだと考えているタイプ。自分の立場を演技的に規定して、いちいちそれに酔い痴れてしまう。そして「いくつになってもあんたは私の子供」がキメ台詞で、私が前述のような話し合いを持ちかけて、ロジックで母を負かしてしまうと「お前は学歴が私より上だと思って親のことを見下している」と叫び、私が子供の頃に好きだったという子守唄を歌いながらメソメソ泣く(昔の純文学みたいだが、まごうことなく実話だから笑えない)。
経済的な条件で追い込まれてしまったので、よっぽど何か奇跡的なことがない限り、現状の生活形態をあと二十年以上は続けなければならないだろうと思う。そこで、この親をどう教育したらいいのだろう。すごく悩んでいる。「普通」であることにものすごくこだわりのある母親なので、母子関係のカウンセリングなどにも耳を傾けないだろう。あと、自己陶酔しやすいタイプだからか、『オーラの泉』を観て感動しているクチなので、ヘタに刺激してスピリチュアル系に走られても困る(新興宗教なんかに入ったらもっとむしられてしまう!)。ああ……。
http://anond.hatelabo.jp/20070209231221
これは純粋な疑問なんだが、「泣ける」って高尚さなのか?
単に「泣けるという娯楽性」を追ってるってだけじゃねえのか? 高尚さとか全然考えてないと思うがな。
同感。意図的に「泣かす」のは簡単。演出と装置の問題。
例えば、小さい子どもを出して、ただひたすらけなげに酷なことをさせればいい。(装置)
雨の中、知らない街でお母さんを探すとか、いなくなったペットをひたすら探して転んで膝をすりむくとか。
悲しげで大げさな音楽をこれでもかと流す。演技が真にせまっていれば(演出)大抵の観衆は自動的に泣く。
泣くのは快感だから、大抵の観客は泣かされても文句は言わない。
はてなブックマークのコメント欄でまで説教してんじゃねえぞ!?テメェ!!!?貴様がどんな高さに視点を置いてるのかなんて全然興味ないが、とにかくめざわりだ。非モテとか非コミュとか呼ばれてる俺たちがどれだけ苦しんでいるのか、どれだけ「空気」に苦しめられているのか、空気を読めなんていう言葉にどれだけ憎しみを抱いているのか、お前には絶対にわからないんだよ。自分の思ったとおりに行動できるくらいなら最初からしている、小学生、幼稚園のころからしているよ。お前にとってはなんでもない、初対面の相手と喋るってことひとつにしたって、緊張して汗かいてどもって、声が裏返ってしまうんだよ。それなのにお前(等)はすぐに「気楽にやってみればいい」とか言うだろ。「気楽になるにはこれこれこうすればいい」とか言うだろ。そんなことは自分のブログに書いてひとりで恥を書いてろ。コメント欄の雰囲気ってものがあるだろ、お前空気空気言ってるくせに読めてないのがお前だ。空気が読めないなら消えろ、せめてプライベートモードにしてくれ。お前のコメントが目に入って胸が絞られるような気分になったのは一度や二度じゃない。いまなんて悔しくて悔しくて涙が目に溜まりそうになったんだ、だからわざわざ増田にこれを書いてるんだ。お前がやっていることは公然の暴力だ!!!?
(以下21:40上を枠でかこむと同時に追記。id:suveneまでの11users時点。)
っていう釣りでした。俺は正直、コミュニケーション能力においてはかなりトップクラスだと思ってるし(そうなれるように工夫してきたからね)、信頼されてないとできないような仕事で周りに利益をもたらしてメシを食ってんのね。周囲が幸せそうにしてるのを見るだけで理屈抜きで嬉しく感じるし、だからいまの立場は天職だと信じている。
非コミュとか非モテで上の文章に共感した人、わかるかい?普通にコミュニケーション能力の高い(と自負している)人間にだって、あなたの考え方がシミュレーションできるんだよ。このさい「自分らしさ」とか、行動力をさまたげてるプライドはちょっと放置してみてさ、「ぜんぶ見透かされてるんだ」って諦めて、「モテる本」でも「脱オタスレッド」でも何でもいいから、何も考えずに表面上だけでいいから、取り入れてみてほしい。試してみてやっぱりだめだったらまた今と同じに戻ればいいじゃない。ちょっと、そうだな、2週間だけ、演技して生きてみるのはどう?
俺は、人に優しくしようと心がけて生きてる。街角でギャハハハと笑ってるヤンキー風の兄ちゃんにも、あなたのことをバカにしないで想ってくれる人間がたくさん居るんだぜ?あとはあなたが、何をどう考えてどう選択してどう行動するかだよ。自分の人生なんだから、自分で指揮してもいいんだぜ。
(2月2日朝にも追記)
ブックマークコメントで、×「シュミレーション」←○「シミュレーション」、との指摘が。こんな間違いをする私はfromさんじゃありませんよ。
私はこの「脱非コミュ活動」を高く評価しますよ。とてもいいサンプルだ。
蛇足だがコミュニケーションに自信が持てなかった私を救ってくれたのは、学生時代に読んだみうらじゅんの本。「ギターが趣味、でなく、ギターがマイブーム、って言うと気楽なのよ」とか「親孝行なんて恥ずかしいから、ふざけてイメクラ感覚で『親孝行プレイ』をしてきた」っていう表現ひとつ、言い方ひとつにとても勇気付けられた。
クソ真面目なモチベーションなんて不自然なんだから、2ちゃんねらーが千羽鶴を折りまくった感覚で、「ふざけて」やってみればいいんだ。非コミュの神様であるとこの伊集院光だって、ふざけていろいろやるからあの位置に居られるんだよ。
会議室のテーブルに捨て置かれた週刊誌をめくったら最近の女はハメ撮りを嫌がらないという話があった。そんな映像を見てもエロでもないだろうと思いながら、メディアの仕事をしているのに若い子のメディア感覚に付いて行けない自分を苦笑した。携帯電話も禄に使いこなせない。受けるか掛けるかだけだ。電子メールの操作もわからない。デジタルカメラ機能も使ったことがないが性交の記念写真を撮る気もない。
ハメ撮りではないが、ヴァギナの奥までペニスを差し入れて女を固定し、半身を起こして眼前の乳房を嬲る時の、女ごとに姿態の差を観察するのは嫌いではない。開放された女の手が面白い。手を伸ばして男の腰にしがみ付こうとする女。シーツを掴む女。拳を握って硬直する女。恥ずかしそうに顔を覆う女。髪に手を入れて頭痛に堪えるように苦悶する女。捌かれた魚のように両手を上げて宗教的な救いを求める女。縛められる快感を知った女は頭上に手を揃え手首を絞ってねだる。その要求には応えない。女が快感のなかに沈んで行くことを許したくない。
怒張したペニスを嵌められたまま乳房と乳首を嬲られ、苦悶と喘ぎに手の置きようもなく惑う女の痴態は映像になるだろうか。撮れば撮れるかもしれないが出産シーンと変わりあるまい。女の肉体だけが映し出されペニスと繋がりが見えない絵を想像してぞっとするのは、ペニスを包み込む女の性に結局甘えを求めてしまうからだろう。
女たちはどう絶頂を迎えるのか。巷には絶頂に至る経緯を株価の推移のように描いた図もあるが、女の絶頂に個性と意思はあっても法則性はなさそうだ。男の射精のように一気に萎える女もいるし、糸を吐く芋虫のように静かに快感の涎を流し続ける女もいる。しかし女たちに愛情や男への執着が目覚めるころになれば、女は悦楽に浸りながらも男の射精の、その哀れな最後を優しく待つようになる。三十代に数年関係の続いた女だったが久しぶりの再会で、飢えたように性交したら五分も経たず射精してしまった。不覚と自己嫌悪に沈みそうになったその瞬間まだ十分に快感のヴォルテージを上げていないはずの女が私の背に爪を立てきつく抱き返して絶頂らしい呻き声を上げた。演技かと反射的に思ったが膣の中には絶頂の自然な蠕動があった。これが女の愛か。そうしたことはその後も幾度か経験した。愛とは奇妙なものだ。
性の技巧など腐るほど語られているがそれでも性交にはあまり語られない技巧がある。例えばペニスを嵌めて固定した女の乳房を嬲る時、性の技巧と言えるのは女の意識の流れとの駆け引きだなのだ。女を愛しているか愛していないか。愛してるならどこで快感の幻想に男が屈して死んでいくべきか。男の意識の砕き方とペニスの応答の間合いは難しい。
ぼんやりとした思いを断ち切るように携帯電話が鳴った。いやなものだ。
F子だった。「夕食は魚よ。あと一時間したらできるわ」と言ってフランス語の料理名を言ったがわからない。
「フランス料理なんて食いたくない。魚は塩焼きにしてくれ」と告げると、F子は「美味しいわよ。白ワイン買ってきてね」と言う。上機嫌な感じだけが伝わってくる。
「わかったよ」と携帯電話を切った。
ボディスーツの胸は、作り物にすぎないのです。
えっちビデオの胸は、蛍光物質に電子ビームが衝突することにより生じた光点の集合にすぎないのです。(ブラウン管の場合)
えっちビデオの嬌声は、電気信号によって振動しているスピーカーのコーン紙が引き起こす空気の疎密波にすぎないのです。
視聴者の皆さまに不快な思いをおかけして誠に申し訳ないと考えております。
id:kuenishi それを言ったら、人間なんて分子機械の集まりにしか過ぎないのでは? あなたが見ているこの世界も、どこからやってきたか分からない光子が目に入っているだけでは?
その通り。だから「ボディスーツだから問題ないべさ?」という言い訳は程度が低い、という話。ボディスーツがOKならこういうのもアリってことになりゃしませんかね、ということ。ご理解いただけませんでしたか。