はてなキーワード: ツボミとは
別に匿名で書きたいわけじゃないんだけど、便利だからココに書かせてもらおうと思う。
少しおっぱいの話をさせてくれ。あんたも好きだろ?おっぱい。乳。
今日、とある友人がこんな事を言っていた。
- 起伏のない胸など男の胸と同じだ。
- 揉めない乳は乳じゃない。
正直、暴論だと思った。
だから今このエントリを書いている。
どうやら友人はおっきなおっぱいがお好きで
ちぃさなおっぱいにはおっぱいとしての価値が全くないと考えているらしい。
では私はどうかというと「どちらかと言えば貧乳が好き」程度の貧乳好きだ。
もちろん巨乳だって心から愛せる。
そんな中途半端な趣向の持ち主である私でも分かることがある。
それは、彼の展開する「貧乳は揉めないから乳ではない」という理論は、世の貧乳好きには全く通用しないということだ。
従って「揉めないこと」は貧乳好きにとってはなんら問題無しなのだ(ただし一部例外もある)
「揉めない乳は乳ではない」という発言を撤回してもらうにはどうしたら良いだろう。
一言に「貧乳好き」と言っても、中には多様な価値観が存在するのだ。
貧乳好きの主な派閥
- 手に収まるサイズ感が良いんだよ:ハンディサイズ派
- もっと大きくしたいと悩む姿に萌えるんだよ:コンプレックス派
- 控え目なところに可愛らしさがあるんだよ:シャイ派
- 貧しさ・質素さこそ美徳だよ:ストイック派
- 自分の身体にも引け目があるから調度良いんだよ:シンパシー派
- 俺が育てていくんだよ:プロデュース派
- 流れるような流線型のフォルムこそ美しいよ:ストリームライン派
- 乳首と乳輪さえあればそれで十分だよ:ミニマルデザイン派
- なだらかな起伏はとても神秘的な風景だよ:ゴビ砂漠派
- 柔らかいのより固いのが好きだよ:ウェルダン派
- スポーツのためにはおっぱいなんて邪魔だよ:スポーツ派
- ファッションのためにはおっぱいなんて邪魔だよ:モード派
- 少女体型に萌えるんだよ:ロリ派
- 発展途上のふくらみが最も美しいんだよ:ツボミ派(ロリ過激派)
- 少しでも膨らんでいたらババアだよ:ペド派
- 中性的なところが素敵だよ:ボーイッシュ派
- 無駄な脂肪はいらないよ:ヘルシア派
- 掴めそうで掴めないから追い続けるんだよ:ドリーマー派
- 好きになった人のおっぱいが小さかったから、それを受け入れただけだよ:運命愛派
- 歳をとっても垂れないから長い目で見るとお得だよ:ライフイズロング派
- 弧の大きさを考えると貧乳ほど巨乳になる可能性を秘めてるよ:ポテンシャル派
- 見えぬけれどあるんだよ:ダークマター派
とまぁ素人が栄養足りてない頭で30分程度考えただけで20以上の派閥が思い浮かぶわけで。
本当はもっともっと細かい分類が出来るだろうし、ここに当てはまらない派閥も沢山あるはずだ。
もし友人が「揉めない乳は乳ではない」と言い切るならば
少なくとも上記の各派閥を相手に持論を展開し、打ち倒さなければならない。
だがそれは不可能だろう。
もちろん、貧乳側が理論で友人を説き伏せることも出来ないはずだ。
(実践的なやり方で中長期的に対処すれば、多少は趣向を変える事は可能かもしれない)
つまり「巨乳こそ乳だ」「いや、貧乳こそ乳だ」という議論は全くもって不毛なのだ。
だから私はそんな話をするつもりもないし、したくもない。
ただ、コレだけは言いたい。
「乳でない乳はないよ」
巨乳が素晴らしいのではない。
貧乳が素晴らしいのではない。
ただそこにある乳が素晴らしいのだ。
揉める乳も揉めない乳も、愛すべき乳だ。
汝の前の乳を愛せよ。
この思いよ彼に届け!
「Lifehackは何も生み出していない」
カッコつけなきゃ人こないだろ?
「必ず勝てる!競馬必勝法」に代わる言葉が必要なんだよ。「みのもんた」に代わるブランドが欲しいんだよ。
オイオイオイ。何を見ている?何をする気だ?もっと視野を広くとれ。
熟れきった実は落ちるにまかせろ。今これから熟れんとする実を探せ。これから花開くツボミを見つけろ。
沢山の森を知れ。さまざまな山へ行け。もう梅は散った。今度は桜だ。季節を感じろ、波に乗れ。
そう、考えるな。感じろ。理解しようとするな。波に乗れ。
素材がどうであれ、道具がどうであれ、それなりに仕上げるのだ。それについてグダグダとは言わない。プロとはそういうものだ。
一握りの論客/エンターテイナーも大量のイナゴも使い様だ。使えるだけ使え。使って使って使いまくれ。消費されろ。消費しつくせ。
これは戦いなんだ。喰われるか喰われないかの戦いなんだ。
喰えない娯楽は娯楽ではない。喰わないイナゴはイナゴではない。イナゴに喰いつくされてこその娯楽なのだ。娯楽を食いつくしてこそのイナゴなのだ。
喰いつくせ!喰いつくせ!喰いつくせ!
すべてを喰いつくせ!!
しかし、それでもなお喰いつくせないものがある。
それが「芸術」なのだ。
暗い夜道を、駐車場の入口にある外灯を頼りに歩いていく。
この辺りは夜になると、本当に人気がなくなる。たぶん、私の車がポツンと一台あるだけだろう。
そう思いつつ外灯を過ぎ、駐車場に入る。
案の定、今日止めた、一番奥の角に私を待つ車の姿があった。
かろうじて背後の外灯に照らされて、うっすらと浮かび上がっている。
と、その頭上がぼーっとかすかに白い。
そうか、もうそんな季節か。
駐車場の角に止まっている私の車の、さらに向うに立つ1本の木。そして、そこから車の真上まで伸びる枝。
車の横に立ち、しばしそれを見上げる私。
見上げたその枝は、すっかり大きくなったツボミが、いち早く開き始めている。
ちょうど真上で開いているその桜色の花は、まるで私の帰りを待つ車を労うかのようだった。