はてなキーワード: 無機物とは
タイトルのダサさなんてどーでもいいけど、新しいモンスターのデザインもう出てる?
四駆ってまさかロトムじゃないよね?あれはフォルムの一種だから…まあ、無機物担当メタモンと思えば…
ディアルガ、パルキア、ダークライ、ギラティナ、シェイミともうNEWポケモンが全然魅力なくて困ってる。
あまりデザイナーに詳しくないけど、なんであんな似たり寄ったりつづけるんだ。
ポケモンで東映怪獣物したいのはいいけど、何作も引きずるネタじゃないよね。
ポケモン映画って、人間と生き物との関係や共存って意味で説教臭いのが好きだったけど、
ルカリオが最後だっただなぁとしみじみ思った。
そらひどい目にあったなー。毅然と対応できたあんたはえらい。
トラブル起きると、ホント疲れるよな。俺も今日いやな目にあった。鬱悪化気味だわ。そんなわけで今日は増田にいる。
たまに、いや、結構最近頻繁に、思う。仕事で、自分のことをゆっくり見つめる暇もなく追い立てられ、経済に取り残されないように必死で経済記事を読み、日経を読み、保険にも入って、もちろん仕事についてきために仕事の知識も調べ、そうやってサバイバルのために知識を磨いて、誰にも負けないように、なめられないように、人並みの人生を送るために、っていつも必死にしているんだけど、私って、一体なんのために頑張っているんだろうって。
数年前の俺にちょっとカブる。てか、今のこの時期、数年前の俺より大変な環境だよな。俺はそれで、うつになって、「もういいか」って実家に帰って転職して、今じゃ無職になってるけど、貯めたお金(と親)があるおかげで今はゆっくり休んでる。十何年かぶりに昔の夢を追いかけてみて、ダメだったら何かの資格取って、最底辺あたりでも生きていくつもりだ。大学全入時代だし、子供への教育は塾に通わせなくても家で教えればいいし。核家族ではなくて三世代同居なら子育ても楽になるし光熱費も安上がりになるし。LOHASって生きかたもあるわけで。
ところでさ、日経ってひどい媒体でさ、まあ俺は日経新聞じゃなくて日経ビジネスをよく読んでたんだけど、連中、新しい経営とかを紹介した数年後にはそれを否定する記事を書くのな。最低なマッチポンプ週刊誌だよ。連中に振り回されてる企業経営者とか日本経済って、気の毒というほかない。MBAって覚えてる?300万台クラブとか、今じゃ話題のわにもならないっしょ。
もちろん、それ読む事で一社員でありながら、経営者が何考えてもの言ってんのかが分かるってご利益はある。でもそれだけといってもいい。ちなみに健康保険は共済が良いと俺は思うぞ。
もうそんな修羅で生きてく元気がこの先続くのか、来世は人間なんかに生まれ変わらずに岩とか星雲とか、生々しくない無機物に生まれ変わりたいよ。
まったくだ。生まれ変わり? No Thank youだよな。てか星雲になるっていいな。
ところで、眠れないとか早朝覚醒とか夜中に何度も目が覚めるとか、うつ状態が2週間以上続いてるとかだと、一応、燃え尽き症候群とかうつ病とか疑ってみてもいいんじゃないかと思うぞ。まあ、そんな事承知してるだろうし、なんでもかんでもメンタル系の病気扱いするはてな界隈の雰囲気も俺はどうかと思いつつ、こんな事書いて申し訳ないんだけど、一応、心配しちゃったので念のため。
これは、多分単なる「疲れ」から来る疑問でないと思う。自分の人生に根ざした、根本的な、なにか。これがいったいどこから来るのか見極めたいのだけれども、そいつの影も形も、全然見えたためしがないんで、どこからはじめたものか。ミクロ的に見れば悪いのは自分?マクロ的に見れば社会?その自分と社会をつくった国家と世界?
本当に、どこから、こんな思いがやってくるんだろう?
ビョーキの話は置いといて、取っ掛かりがほしいんなら、とりあえず整理してみようぜ。自分の性格と、価値観、社会の価値観を並べて書いて、衝突してないかチェックするんだ。
社会の価値観に自分を合わせようとして、疲れているんじゃないかとか。んじゃ自分にとって一番大事なのって、なんだろうとか。国家とか世界はちょっと大きすぎるから、それはとりあえず保留して。
で、いきなり社会といってもあまりにも多様すぎて大変なんで、自分の会社の方針(建前)と、実際に行っている事(本音)がどうなってるのか整理してみたり。
自分の理想の姿が、世の中の雰囲気の中で作られたものなのか、自分の根源的な欲求に基づくものなのか見極めてみる。自分はどうしたいのかとか。
俺の場合、高校のとき周りの目を気にしすぎて、「そういや、自分ってどんなやつだっけ」って見失っちまった時期があって、1年くらい悩んで、最終的に自分の感情を頼りに再構築した事がある。何が面白いのか、何が嫌なのか。他人がどう反応し様と、俺は面白いと思った事は面白いんだと。他の人がつまらんだじゃれだと白けて見せても、俺は自分が面白ければ笑っちまえと。
そんなわけで、何もかもが分からなくなったら、自分の感覚を頼りにするって手もあるよ。
あとは、ビジネス書はちょっと置いといて、歴史モノとか読んだりして、昔の人の考え方と、今の人の考え方の違いとかを眺めてみると面白いかもよ。
私みたいなヘタレは多分今の競争社会じゃ生きるな、つーことなんだろうか。しんどいのがデフォルトで、少しでも弱気な者から死んでいくのがこの陰惨な社会なんだろうか。
どーだろうね。未来の社会じゃ、逆転するかもよ。最近は強気のヤツでもどんどん死んじまう世の中だし。いずれゆり戻しが来るって。
で、そのしんどいの経験してるってことはさ、あとから来るヘタレが同じように悩んだとき、一般論に頼らず、自分の言葉で相手が必要とする言葉を選べる能力を獲得してるってことなんだぜ?泣いても笑っても、食って寝りゃ生きるんだから、泣きながら生きていこうや。ずるずると生きていこうや。
それに、選挙権持ってるオトナである以上、今の陰惨な社会をなんとか変えなきゃいけないと思ってるし、それは俺の目標でもある。諦めるのは、先送りにしようぜ。無理しない程度に。
てか、休もうぜ。疲れたら休むのが生き物ってもんだろ。逃げる体力は、残しとくもんだ。
火曜日、自宅の上階のおっさんにものすごい勢いでののしられた。家に怒鳴り込まれたのだ。私が上から騒音の被害を受けているのに、おっさんからすると、私の方がある意味加害者らしい。本当に、酷い出来事だった。
そのときは泣きもわめきもせず毅然と対応したけど、酷い出来事が過ぎた後から、寝る前に一気にそのショックが訪れてきた。
今まで詰め込んできた疲れとかたくさんのあきらめとかそれまであった嫌なこととか悲しみとかそんないろいろと肩のこりや腰痛のように積み重なった澱みの感情に押しつぶされそうで、それに対して、何もできない自分も、そして、そんな思い出を受け入れることも消すこともできず後生大事に持つしかない自分も全てが本当にいやでいやで、たまらなかった。
自分が無視してきたそれらすべてがあの罵倒してきたおじさんに集約されながら、自らの中で再生された感じで、一時的に自分の心と体と頭は連携がとれず全部ばらばらになってしまい、服装や身の回りの全てに対して関心をなくし、食欲もなくし、仕事に取り組むエネルギーもなくし、一時的な待避策として、怒鳴られた翌々日は休みを取った。疲れた。本当に本当に、疲れた。
たまに、いや、結構最近頻繁に、思う。仕事で、自分のことをゆっくり見つめる暇もなく追い立てられ、経済に取り残されないように必死で経済記事を読み、日経を読み、保険にも入って、もちろん仕事についてきために仕事の知識も調べ、そうやってサバイバルのために知識を磨いて、誰にも負けないように、なめられないように、人並みの人生を送るために、っていつも必死にしているんだけど、私って、一体なんのために頑張っているんだろうって。
この先に何があるんだろうって、何を手に入れたくて、何が欲しいんだろうかって。それを手に入れて私はうれしいのかって。そもそも、目標なんて、金があればほとんど全部叶うじゃん。じゃあ、お金を持っている人が勝ち(価値)ってことになって、持ってない私は貧乏で負けなのか?
父曰く「人間はつらいこと嫌なことがいっぱいあるが、それに耐えて一花咲かせるんだ」とまるで演歌のような根性論を私に語った。その言葉に、余計に救いを感じられず、自分は崩れてしまった。この格差社会で、一花咲かす、なんてそれこそ至難の技だよ。つーか花ってなんだよ。金か?地位か?能力か?そんなの自分にあるとは思えない。このままじゃ、私は花なんて咲かせる前に、死んじまいそうだよ。
さしあたって必要なものはもちろんお金だけどそれを手にいれるためにはさっきまで私が書き連ねてきたこと以上の、必死の努力が必要で、気を抜けなくて。そんなことを考えていたら「もうなんか人生どーでもいいや」という気持ちになった。けど死ねないし。バカみたいだ。
私みたいなヘタレは多分今の競争社会じゃ生きるな、つーことなんだろうか。しんどいのがデフォルトで、少しでも弱気な者から死んでいくのがこの陰惨な社会なんだろうか。強くなれないものは死ねってことか。ふと気を抜くと、派遣の人みたいになるんじゃないかと本当はこわくて仕方ない。がんばらないと、生きていけない。がんばらなくなったら、もう生きられない。そんな気がする。もうそんな修羅で生きてく元気がこの先続くのか、来世は人間なんかに生まれ変わらずに岩とか星雲とか、生々しくない無機物に生まれ変わりたいよ。
そんな思いをどこかに取り残しているから、酷い出来事があった時に、ひどくうろたえ、全部ばらばらになってしまうのかもしれない。本当にうんざりするし、どーしよーもないけど、明日(というかもう今日)は、会社に逝ってくる。本当、人生って、大変つーか、しんどい。もう嫌だって、しょっちゅう思うけど、まだ「死ぬなって軽々しく言うな」っていう人がいるから、「今日だけ」と思いながら、ずるずる生きている。
これは、多分単なる「疲れ」から来る疑問でないと思う。自分の人生に根ざした、根本的な、なにか。これがいったいどこから来るのか見極めたいのだけれども、そいつの影も形も、全然見えたためしがないんで、どこからはじめたものか。ミクロ的に見れば悪いのは自分?マクロ的に見れば社会?その自分と社会をつくった国家と世界?
本当に、どこから、こんな思いがやってくるんだろう?
気持ちよかったかどうかでいえば気持ちよかった。ローションも含めてひんやりとするのがあんまり好みじゃなかったかな。他のホール使ったことないので、セブン特有のなにかがどうだったとかはわからないのが寂しいところ。リアル幼女の経験もないしね!
賢者モードの空虚感は異常なくらいだった。右手とは比べ物にならない。相手が無機物だから?関係ないか。
そういうわけで片づけ取りかかるまで「これどーすんだよ・・・」ってずっと思ってた。捨てようかとさえ思った。1400円くらいなら……とか。
でも実際洗ってみると、簡単に裏返るし水洗いだけできれいになったし、水の切れもよかった。捨てなくてよかったー。
というわけでオナホデビューでした。月に一回くらいなら継続してやるかもなー。
しかし使い捨ては気楽そうだなー。試してみようかな。
どうやらそれが破損されることに対する罪の重さっていうのはいくつかの視点があると思う。
たとえば池の氷を踏んで割っても罪に問われないのは、それが可逆的だし経済的損失が無いから。
それが氷の彫刻となってくると、元に戻すには時間がかかるし経済的損失が発生するから、場合によっては器物損壊にあたる。
そこから先は無機質の物の損壊については、その経済的損失や元に戻す手間みたいなので、罪の大きさが変わってくる。
生命になると、観点は変わる。
まず大きな違いは、生命の損壊は不可逆的であること。つまり基本的には生命は「死んだらおしまい」だっていう自明のことが関係してくる。
そうすると今度は、生命を持つものの中で別の基準によって順序付けられていることになる。だって、生命の損壊が不可逆的だということだけで、アリを殺したら重大な犯罪、ということにはできないから。
そこでもうひとつの視点というのは、その生命が「より人間に近いか」ということになると思う。
ゾウリムシ<アリ<メダカ<カエル<スズメ<ネコ<イルカ<サル<ニンゲン
ネコとイルカの順番には迷ったけど、自分なりの考えでイルカを前にしてみた。
捕鯨に反対して命をかける人々がいるくらいだから、きっとネコより大事にされてる。
こうして並べてみると、生命の進化の程度に比例して、その生命の損壊に対する罪が大きくなっているように感じる。
進化の樹形図があるけど、あの中でニンゲンに近いほど、それを殺すと罪が大きいということになるんじゃないだろうか。
もちろん、いろいろなシチュエーションやその固体の持ついろいろな価値によって上下することはあるだろうけど、基本的にはそんなに間違っていないと思う。
というわけでまとめ。
無機物は、可逆性という性質があり、失われた経済的価値に応じて器物損壊の罪の大きさが比例する。
生命は非可逆性という性質があり、進化の度合いがよりニンゲンに近いほど、損壊に対する罪が大きくなる。
だから、アリを潰す子供は容認できても、犬を自分勝手な都合で保健所に連れて行くような馬鹿親は断罪されなければならない。
いじょう!!!!11
「死ねばいいのに」
でも、そのほとんどはだめな自分に向けてのもので、他人に向けることは滅多にない。
普段はとことん自虐的。
ネット界隈の不愉快な存在や、えらーい人に向けても「死ねばいいのに」とは
ほとんど言わない。死んだ方がマシな辛い目に遭えとは思っているけど。
でも、日常の生活範囲内にいるんだ。
心の底から「こいつ、本気で死ねばいいのに」と思う奴。
向こうもそう思っているのは肌で分かる。目で分かる。呼吸で分かる。
今日、帰り道にそいつと遭遇。それまでのハッピーな気持ちが全部消えた。
今もまだ「あいつ、他人にできるだけ迷惑かけない方法で、俺が手を汚さない方法で、でもむごたらしく死なないかな」という
悪い考えがうごめていている。ま、向こうもそう思っているだろう。ああ、本当に死ねばいいのに。
まあ、そいつと顔合わせたくないなら、自分が死ねばてっとりばやいのだろうが
自分が死んだ後、そいつがどこかで「あいつ死んでせいせいしたわ」と言われると思うと、すっごいむかつく。
むしろこっちが「あー、あいつ死にましたか。いやー、残念ですよねえ、彼はほんと、できる男だったのに」と
ものっすごくわざとらしい笑みで弔辞を読みたいのに。
葬式行かなくても、どっかの川辺で酒でも飲みながら
「死にくさりやがったか! ざまーかんかんカッパの屁」と高笑いしたいくらい。
ああ、これが憎悪というものなのか。畜生、いつか俺はゼスモスを発動させられるぞ。
だからといって、そいつが自分の生きるカンフル剤なのかというと、それも違う。
せいぜい「あいつが生きているうちは、こっちも死ねないな」くらい。積極性がない。
死ねばいいとは激しく思っているけど、自分から積極的に殺すという殺意はない。
こういうとき、無機物をとにかく壊したり他人や動植物に八つ当たりする人もいるんだろうけど
そういう生き方は持ち合わせていない。だから、こんなことをしている。
嗚呼、今日も自分のことが嫌いになりました。
でも、本当にあいつ死んでくんないかなあ。
ごめん。うまくまとまってない。
するよ ──┬─ 人によるよ派 │ ├─ フツメンが二人で歩いてたらするよ │ └─ イケメンならするよ派(耽美主義) │ ├─ シチュエーションによるよ派 │ ├─ フツメンが二人で歩いてたらするよ │ ├─ フツメンでもブサメンでも二人で歩いてたらするよ │ └─ 男子グループの中での相関図を妄想するよ │ └─ 無機物でもするよ派 ├─ 元素周期表でもするよ └─ えんぴつと消しゴムでもするよ しないよ ──┬─ 三次元はありえない派(二次元主義) │ └─ 考える前に明らかだよ派(超越)
無機物でもする=「えんぴつと消しゴムがどっちが攻めでどっちが受けかという議論は10年前に終わっている」(となりの801ちゃんヨリ)