はてなキーワード: 早川とは
党員の息子です。
元増田のエントリと順序を変えてしまいますがまずは以下からお答えします。
あと先のトラックバックではちょっと文体が失礼だったように思えましたので、今回は改めました。真剣にご批判頂けているのが伝わってきますので。
「『共産党性善説』に依りすぎ」については、やはり共産党サイドからの視点なので客観性に疑問を持たれて当然かもしれません。これは今回の僕のエントリすべてに言えることだと思います。僕のエントリには甘目に見ても「主観的で共産党的な」客観性しかないのです。そして補足のこの説明にも疑問を持たれてしまうかもしれません。それが元増田をはじめとする世間と共産党の差なのだと思います。
弁解がましく申し訳ないのですが、以上を前置きとさせてください。
そうかも知れないし、トヨタ特有の問題かも知れない。これが個人ブログの論戦なら「一件だけ取り上げて一般化するなよ統計資料とかソースも付けろソースを」というレベルだよな。
ソースに関しては内部告発ですのではっきりとは出ないかと思います。内部告発に関連して公益通報者保護法というものがあります。
公益通報者保護法は、労働者である告発者を守る法律です。どこから得たソースかは漏洩すると守秘義務違反になります。守秘義務違反についての罰則は僕にはちょっとわかりませんが。
ソースらしきものといえるのは赤旗のWeb版くらいしかないですね。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-09-15/2006091503_01_0.html
共産党のこの手の調査力については否定する気は無いが、この件で共産党が党利党略のために恣意的な調査をしていないという保証がどこにも無い。
という批判をまま繰り返し頂いてしまいそうで恐縮しています。国土交通省調べと愛知労働局調べからある種の仮説、もしくは補説を立てているのだとは思います。ただ、"恣意的"でない調査は存在しないとも思うのですがいかがでしょうか。党利党略のため調査をしない政党は無いのではと思います。
これは受け取る側、あなたをはじめとした<国民>の問題であります。<国民>それぞれの主観的な問題なのです。そこで考えるべきは、共産党の党利党略をここから読み取ることなのではないでしょうか。僕はここから、弱者である労働者サイドの視点で対大企業の姿勢、という読み取り方をしました。
ですので僕自身が弱者である一労働者である間は、ツールとしてこの政党を利用しようと思っているのです。もちろん元増田には不満があると思います。これについては先述しました、「元増田をはじめとする世間と共産党の差」なのだと思います。
上記とは別の角度からお話しさせていただきますと、単純に「恣意的な調査」というのは、あり得る話ではあります。だけれども「恣意的」と自覚しながらも出したのだとしたら反駁を待つために質問したのだと思います。そしてその反駁こそ共産党の望むところなのではないかと思います。この反駁が与党なり、他の政党からでてくるでしょうか。おそらく出てこないでしょう。トヨタはアンタッチャブルなんです。下手に刺激して証人喚問等々は避けたいのではないでしょうか。
それに「そこはとらせなきゃ」と言っても、他の政党同様、共産党にだって取るべき責任から逃げてきた前科はあるわけで、特定の政党にシンパシーを持ってない俺には「きっと○○議員は責任を取ってくれる」という希望的観測は持てない。世論が強制的に志位に責任を取らせる具体的な方法があるなら話は別だが。
「前科」とはおそらく、
の等々かと想像します。他にもありますでしょうか。
共産党側の反駁をhttp://www.jcp.or.jp/faq_box/index.htmlで探してみました。
以下の該当無しというのは、先に挙げた記事に関連するものが無かった、という意味です。
この検索結果を受けて思うのは、この体質というのは変えていくべき重大な問題なのだと思います。
代々木側(あえてこう言わせて頂きます)にも、トヨタにふれられて困る与党自民党と同じ部分がある、ということです。
宮本顕治リンチ殺人事件の審議についておそらく代々木側はこういうでしょう。「この件に関しては解決したこと」「共産党と敵対する団体のデマゴーグ」と。しかし、これらがまだ話題として上がり続けていることをどれだけ重大にとらえ、いつまでも反駁し続けなければ意味がありません。
この点は僕が積極的に共産党を支援できない理由の二つ目と言えそうです。
そして、「(責任を)とらせなきゃ」の真意ですが、一番効果的なのはやはり選挙なのです。国民がこの大嘘つきめ、と選挙で落選させないといけないわけです。1952年5月1日に起きた血のメーデー事件発生から5ヵ月後に行われた総選挙では、事件のあおりをもろに受け共産党は全議席を失ったそうです。当時は分裂気味であった共産党にとってはよい薬だったのではないでしょうか。「世論の強制力」に該当するものは選挙以外残念ながらありません。不逮捕特権というものもありますから。
発端になってるトヨタやらキヤノンの事案が曖昧なまま事実認定されてる点が釈然としないな。自民党を倒すための手段くらいはきっちり選ばないと、結局自分たちに跳ね返ってくるだけな気が。
や、
実際、過去に拉致問題をいち早く取り上げていながら、いざ北の将軍様が拉致を認めたら社民党とセットで共産党は落ちぶれたわけだし。昭和時代の共産党の議席数とか今見返すと信じられんよ。
などは、マスコミとの関連性も考えられそうです。今でこそ露出は増えはしましたが、結局赤旗や、党員や民青によるビラまきでしか広報活動ができないのが問題なのかもしれません。常に共産党側からのフィルタを通してでしかものが言えないのですよね。信用されていない人の言説を誰が信じるでしょうか。たとえそれらが真実であったとしても、その真実が皆の真実になるとは限りません。共産党側の人間にはマイノリティである自覚が無いのかもしれませんね。
これもまさにその通りです。あくまでも共産党の肩を持つ身としましては、選挙のための選挙運動を彼らはしていない、ということくらいでしょうか。しかし、これはこれで全然政党の役割を果たしていないような気もします。
元増田とのエントリを通して思ったことは、やはり共産党をはじめとする政党はツールでしかない、ということです。国会は議員が勝手に運営しているように見えますが、僕らはそれに期待し実行させる権利も、ふざけるなと抑止する権利も持ち合わせているのです。元増田も他の皆さんも選挙権を小さな権利だと思わないでください。一党のみを支持する考えはもはや危険なのかもしれません。時勢ごとに支持政党は変えてもかまわないし、それが国会に反映するよう、僕らは僕らの持っている選挙権の強さを被選挙権を行使する者達へ知らしめなければなりません。
非常に長くなってしまいました。レイアウトに難があり読みづらいかもしれません。申し訳ありません。
ある日あの噂の「早川さん」を見て、SFに興味を持ち、読んでみることにした。
今まで読んだことのあるSFというと、星新一くらい。ハルヒのSFめいた部分も好きなんだけど、2chのSF初心者スレで、「オススメのを教えて下さい、ちなみによんだことのあるのはこのくらいです」とその旨を書き込んだら「これだから初心者は…あんなオタ向けラノベの稚拙な設定をSFっぽいとか言われてもね」的に嘲笑されてしまったお。リアル早川さんだお。こ……怖いお……
怯えつつも聞いたところ、夏への扉とかを勧めてくれた。
「初心者ならここらへんからじゃない?」とのこと。「猫好きならオススメ」うーん。どっちかっていうと犬派だけど……でもまぁいいや。初心者向けだっていうしひとまずこれ読もう!と思い本屋へ。
他にも初心者向け!と言われた本をメモってあったのだが、いざハヤカワ文庫コーナーへ行くと、なんだか面白げなタイトルが並んでいる。「順列都市」「万物理論」……なんか、面白そう。「夏への扉」もあった。しかし、序盤を読んでみると、なんだか恋人と友人に裏ぎられてどーのこーのみたいな普通の小説みたいな描写が続くだけで、なんかSFめいた展開になかなかならんなー、まあこの後面白くなるんだろうけど、正直そこに至るまでちょっと飽きそうだなー……と断念。結局初心者板で聞いたくせに、私は自分の好みに従い「順列都市」という本を上下で買っていった。(なんか裏のあらすじを見たら面白そうだった)
で、読んだ。(以下微妙にネタバレ?)やはりところどころある日常パート?などはちょっと飽きる。飽きたところはところどころ飛ばしながらも、なんとか読み勧める。「上」の後半辺りから段々面白くなってきたけど、同時に、よくわからなくなってくる。わからないままとりあえず読み進める。「下」にはいって、ピーが椅子の脚だけをひたすら作り続けるなどの描写でwktkし始める。面白いのだが、自分が理解できているのかどうかよくわからない。分かったよーな分からんよーな、て感じ。一応想像しながら読んでいるんだけど、もしかしてこの脳内の想像は全く間違ったものかもしれない。ていうか多分そうだろうな……塵理論を見たとき、バベルの図書館をちょっと思い出した。ちょっと違うか……でもこういう考え方は好きだ……私の理解が合っていればの話だけれども。最後は興奮した。誤って次の行を先に読まないように注意しながらたちながら読んだ。そしてラスト。おお……これは、なかなか……。読み終わった後は少し寂しい感じだった。いい映画が終了したあとの映画館での余韻みたいな……その日一日は「なんか面白くて壮大な話を読んだよ!」と興奮していて、母に「順列都市ってのをよんだよ!面白かったよ!」と伝えたのだが、母に「へぇ。どういう話?どこが面白かったの?」と聞かれ、「え……ど、どういう話って言われても……なんか……面白かった」としかいえなかったため、やはり理解はかなりあやふやと思われる。(今またちらっと読んでみたら、前よりは結構分かる気がする。当たり前か)
で、じゃあ次は「万物理論」ってやつ読んでみるかーと思って本屋へ。グレッグイーガン、グレッグイーガン、と探す。しかし「万物理論」はその本屋にはなく、代わりに「しあわせの理由」というのがあった。そのなかにある「しあわせの理由」をちょっと読んでみた所、これがツボで、面白かった。結局立ち読みで「しあわせの理由」を全部読んでしまった。こういうのは好き。読んでしまった手前買ってきたけども、他の短編は未読。母に持っていかれた。
で、次は図書館へ行った。「SFはこれを読め!」という新書を発見。それを借りた。面白そうな奴がいっぱいある。とりあえず紹介されている中で一番興味を引かれた「理解」と、「幼年期の終わり」ってやつを読む事にした。
「理解」は凄く面白かった。短かったし、読み始めたらとまらなかった。歩きながら読んだ(あんまよくないね)。ラストは家で「フオオオッ!フオッ!」と唸りながら読んだ。思わず友達に「テッド・チャンの理解って本おもしろいど!」とメールした。「え?テッドチャン?は?」「SFだお!」「は?SF?すこしふしぎ?」ドラえもん!?
で先日「幼年期の終わり」を読んだ(以下ネタバレあり)。いきなり「ソ連」と来た。……ソ、ソ連?なにこれ結構昔の話?携帯やネットがでてこない違和感を覚えながらも読み進める。例によって飽きるところは飛ばしつつ……おおおオーバーロードだってよ!きましたよ!うぉお!何?この人類のちっぽけ感……なんという圧倒的な進化ぶり。萌える。オーバーロード萌える。と邪な楽しみ方をする。「いつ姿見せるんだよー」「50年後だよ!」ちょw死んでるがなwいちいちでっけえなw
黄金世代、入りました、いいねぇ、この桃源郷な感じ。科学的技術の発展のために豊かになった世界というのはなんか……いいよね。これが本当の桃源郷って感じがする。とか思いつつ読む。ところでオーバーロードが、初めどんな姿をしているのか分からなかった。「え?なに?鳥?でかい鳥なの?別にいくね?」ってレベルだった。しかし他の本にはしっかりと「悪魔」とかかれているそうで、あーなに、そういうことかそういうことがいいたかったんか……悪魔だってわからんかった私涙目wあの説明じゃでかい鳥、としか想像できなかったよ。西洋の発想だからか私の知識不足か。後者ですよね……サーセン。
クジラの標本にもぐりこむっていうけどそんななんつーか稚拙な方法、すぐバレんじゃね?持ち込むときとか、何か中にないかどうか赤外線的なものでチェックしたりしないの?と思ったけど意外と通っていた。
でもここはちょいちょい飛ばした場面も多数。クジラに乗り込んだヤツが帰って来るころには、ヤツの知り合い全員死んでる、っつー話になり「人間ちっせえな、いちいち宇宙ヤバイな、でけえな」と感慨に浸る。オーバーロードの星のシーンでなぜか先日プラネタリウムいったときのことを思い出した。
で3部、ここは面白い、うおおお!うおお!そそそそういう目的だったのか、へぇー、っていうか、あれだよ。宇宙ヤバイ。
こういう「人間の終わり」みたいなのってそういえば余り考えた事無かった。人間の終わりっていうとたいてい、科学技術行き過ぎて自ら破滅の道を選んじゃいました愚かな人間どもですー、とか、普通に隕石で恐竜のごとく消えうせたよー、所詮自然には逆らえなかったよー、とか、あくまで、人間がそのままの姿で一挙絶滅的なものが言われがちな気がする(SF者にとってはそうでもないんだろうけど初心者の私からすると)。そこでこれ、うお、これはいいかも。しかしこの本も、こんなこといってるけど、ちゃんと理解できているのか正直心配。間違ったイメージを持っている気がする。順列都市よりは分かりやすい気はするけど……全く別個のものになっていくこの絶望感、しかしどこかオーバーロードの「うらやましー」て視線もあってか、どこか「これはこれで……寧ろそうだ、これこそが進化ってもんなんだろーな」と、今の人類が、ほとんど姿かたちは今のまま、ちょっと知能や科学技術が発展する程度で続いていくより、こういったパターンの方がいいかもしれない。
で、そういえばヤツは?クジラでいっちゃったヤツは?っておもってたらきたよ!うおおお!ここからはもう怒涛の勢いで読む。何か凄いんだけど、でも、正直イメージしづらくもあった。ただ凄さは伝わってきた。前半はちょっとイマイチだったけど後半は結構よかった。読み終わった後また余韻に浸った。
でもこの中で一番好きなのはやはり「理解」かな。
しかしやはりSFは読み辛いwなんかわかったよーなわからんよーな、って感じ。SF者と話し合ったら絶対ついていけないと思う。漠然とした理解でしかないから……もう一度読み直そうかな。それとも違うのを読むか。でも、ミステリよりはSFの方が好きかも。(ミステリと比べるのは、他に読んだ小説というとミステリくらいしかないため)
ところでSF者は何冊くらい読んでるんですかね?初心者板とかいくと、100冊だかなんだかくらい「初心者はまずこれをよめ」的に書いてあってビビるのですが。あれで基本!?みんなどんだけSF読んでんだよ……!こりゃしばらくは初心者だな。まあいいんだけども。
「怪物」ロバート・シェクリイ 早川文庫「人間の手がまだ触れない」に収録
わたしたち女性の望みは、ただ、自分の婚期がくるまで、宿舎のなかでタマゴをかえしながら、ひたすら道徳的な生活をおくること、品行方正な生活をおくることだわ。そのうちに、やがて夢のような法悦の二十五日がおとずれる! それ以上、なにも望みはない。あの怪物どもは、私達の生活を破壊しようと狙っているんだわ。
他人は当然ブラックボックスであって何を考えているかわかるわけもなく、こちらから突っついたり、あるいは普段の挙措を見、周囲の状況とそれに対する反応を見て「何をされたら嫌がるのか、喜ぶのか」という無数の類例を積み重ねて、どういう思考パターンをしているのかというのを推測するしかない。
普通の人間は無意識にそういった学習を積み重ねることで、ある程度は周りの人間の行動や反応を推測できるようになっている、というだけの話。他人の考えが最初からわかっている人間などいるわけがない。
おのれが幸せに生きるために、多少はそういう能力を身に着けておいたほうがいいと思うが、そういうのが出来ない人もいるだろうし、そういう人は、計画的に、他人との関わりが最小ですむような人生設計をすると少しはマシなんではないか。あるいは同類が相手ならばうまく付き合えるだろうから、そういう場を探すか。
コミュニケーションテーマの傑作SF「グッドラック 戦闘妖精雪風」にて、主人公が女医に「君がなぜ怒るのかわからない。胸に感情/思考の計器をつけていてくれると助かるのだが」といったようなことを冗談交じりに言うシーンがある。
返ってきた言葉は「計器があってもあなたはそれを見ようとしない。あるいは、見ても理解できない。そういう人なのよ、あなたは」
いろいろと示唆的なので読んでみれば面白いかもしれない。一巻が「戦闘妖精雪風<改>」、二巻が「グッドラック…」、早川SF文庫。