はてなキーワード: ブロガーとは
流石に、どんな罵倒にも耐えられるブロガーはいないでしょうね。私の場合、自分への評価はコメントやトラックバックなどの内容から判断せざるを得ないので、そこに投稿される罵倒コメントからはかなりダメージを受けてしまいます。それらが唯一のフィードバックである以上、以降の執筆活動にも影響を与えてくるわけです。
罵倒も含めたデータベースを指向するにしろ、ブロガーに対する悪影響を少しでも防ぐ仕組みが必要だと思います。例えば、罵倒コメントはもれなくフィルタリングするとか、罵倒コメントの疑いがあるコメントにはフルオートで「これは単なる罵倒コメントの可能性があるから、あまり気にしなくていいよ。」みたいなフォローを入れてくれるような仕組みがあってもいいんじゃないかと思います。
テレビを見なくなってから1年ほど経った。何かきっかけがあったわけではなく、いつのまにか見なくなっていた。そして去年の夏頃、あんまり見ないものだから、とうとうテレビは捨ててしまった。
それから、なぜテレビを見なくなったのかについていろいろ考えた。
でてきた結論は、テレビ局が思い描く最大公約数的な視聴者に、いつのまにか私が含まれなくなったから。じゃないかと思う。テレビ番組の視聴率を最大化するには、私を含まない層向けにつくったほうがよい。そうテレビ局が判断したんだ。たぶん。
テレビを見なくなった私は、いつのまにか、ブログをたくさん読むようになっていた。どのブログも、私向けに書かれたものではないかもしれないけれども、明らかに私以外の人を楽しませるためのテレビ番組よりは、面白かった。中には私向けに書かれているとしか思えないようなブログもあった。
そんなブログに、いつからか、「はてな」の被ブックマーク数が表示されるようになっていた。最初はよくわからなかった。注目されている記事が分かる仕組みかな〜とか勝手に思っていた。最近になって「はてな」の存在を知った。すごいと思った。もちろんすごいのは、私の勝手な予想が当たっていたことではなくて、どの記事がどれだけ注目されているかが分かる仕組みの方だ。これは便利だ、と思って使いはじめた。
そして一昨日、同じくらいすごいものを見つけた。 Pathtraq だ。でも、私は Pathtraq を見て、さみしさを感じた。同時に「はてな」にも今まで感じていなかったさみしさを感じた。
どっちのサービスも、みんなが注目しているサイトに私たちを注目させる。それだけなんだ。視聴率を調べるビデオリサーチなんだ。
ブロガーの人々が視聴率を追い始めたら、私はテレビ局からもブロガーからも無視されるようになってしまいそう。あぁあ。私のような外れ知は、集合知を作る上でも外れ値扱いされてしまうのか。
……ホントにさみしくなってきたので、寝ます。
1.ある特定の思考が浮かぶことを重要視し過ぎる
2.自分の思考を完璧に抑制しなければならないと考える
3.ある状況が、実際より危険だと考える
4.曖昧なことに寛容でないー完全に確信したがる
5.完全主義ー他人から批判されないように全てを完璧にこないしたいと望む
6.過剰な責任感ーおぞましい想念を予防する究極の責任と能力が自分にあると思い込んでいる
1、2
ある特定の考えが頭に浮かぶのには何か深い意味があるからにちがいない、
そう短絡的に結論付けてしまう。単にあることを考えているだけなのに、
きっとそれが実際に起こるに違いないと結論付けることもそうです。
その思考を重要視すべきかどうかの判断を誤ると、すべてのぞましい想念を
完璧に制御しなければならないと思い込み始める可能性があります。
3
物事の危険の度合いと、その起こり得る可能性の両方を過大評価します。
また、安全が保証されるまでは、状況が自分にとって脅威であるとみな
しがちです。他方、強迫性障害のない大抵の人は、状況が危険だと証明
されない限りは安全だと考えています
4
危険が起こる可能性を過大評価する傾向があります。たぶんこの傾向の
ために、彼らはあいまいあな状況では意思を決めかねることが多く、
従って後になってから自らの決断が正しかったのかどうか自問するのでしょう。
5
他人から批判されないためには、自分の行動が完璧でなければならないと
信じています。
6
もしあなたが、悪いことが決しておきないようにする根本的な力量と責任を
自分が有していると信じているなら、おそらくこの認知上の過ちに陥って
います。人生のほとんどとはいえないまでも、多くの結果は、私達の力が
及ぶものではないからです。過剰な責任を引き受けようとすれば、自分や
自分の愛する人々に悪いことがおきたときに、つい罪悪感を抱きがちです。
「ホームページを作る人のネタ帳」の自作自演で揉めてた件について
はてなが情報を開示しない限り真実は闇の中って事で片付けられてるけど、つまりこういう事でしょ?
http://e0166.com/newsX/mbf.php
ブロガーに欠かせないはてな。いま、自分で最初から何かを作っていくのが大変な状態にはどめをかけるため、自分のところのかわりに、はてなRSSやAPI、自動化による更新の手間を省き=「はてなパワー」を企業活動や個人の暮らしに生かす取り組みが日本各地で進められています。
ブックマークフィールド『BMF』では、2007年3月より「はてなAPI」その他各ソーシャルブックマークの使いやすさを追求し、
年間30万円の広告費年間30万件のアクセス数をはてな株式会社の力でもらえるようにがんばってみます。これにより、MBFのサービスを動かす全サーバーの「はてな依存」が実現することになり、はてながサービスを停止した時点でFBMも停止します。
自作自演を指摘されたIDがセミナー受講者って言い張ってるが嘘だろw
業者がちょっと本気になれば「はてなブックマーク」なんて使い物にならなくなるぜ。
自分達のサイトで埋め尽くすだろうね
今回の件を見て俺は2つの事を確信したね。
1.ブロガーの取材力の無さ
2.WEB2.0の脆さ
まず1について。
俺は地方紙で記事を書いている人間で外を歩き回って取材することもあるんだけど、何かの不正を暴くときには「確実な証拠」が絶対に必要なんだよ。
もし裏が取れないならデスクによって記事がお蔵入りになってしまうので、それこそみんな必死になって取材するんだ。そこがジャーナリストを気取っているブロガーとの違いだな。
入社3年目の事なんだが、とある市議が某○○○に○○○してるという情報が俺の所に入ってきたんだ。
足が棒になるくらい歩き回ってさ、、ほぼ完璧に近い証拠が集まったんだよ。
もう狂喜乱舞してデスクに話持っていったわけ。
何て言われたと思う?
「99%相手は黒だろう。でも100%じゃない限り俺はこの記事を通せない」
ショックだったな。
でも今にして振り返ると俺たちの世界では当たり前の論理なんだよな。
きっこの日記がジャーナリスト気取りで「世の不正を暴いてます」ってほざいてたが、あんなものはジャーナリズムでは無い。
ブロガー諸君にはジャーナリズムの世界がいかに厳しく崇高な世界か想像してみて欲しいね。
思い付きや想像だけで記事は書けない世界なんだよ。例え地方紙でもね。
次は2について。2年後には2ちゃんねるのような完全匿名の掲示板と、大手既存メディア(新聞/テレビ)の価値が再考されるだろうな
俺は既存メディアで記事を書く側の人間だが、プライベートでは2ちゃんねるを使い続けている。
完全匿名の良さは常にみんな本音で語るところだよ。
半匿名というしがらみが無いんだ。
そしてそこにはビジネスの匂いはあまりしないんだよな。
それが何故なのかは俺にもよくわからんが、少なくとも業者が流入しても排除される雰囲気が醸成されているんだ。
半匿名による集合体(WEB2.0)の価値が問われる瀬戸際に来てるのは間違いんだが、俺はWEB2.0にビジネスマンが大量に流入したら崩壊するのではないかと思っている。
あなた達の世界なんてそんな脆いものだよ。
Hello world !! こんにちは世界!! こんにちは皆さん!!
webサマリはネットにある記事のまとめを作成して、世界中の人と共有するサイトです。
あなたも、一緒にLet's サマリ!!
以下はサイトの説明になります。興味が湧いたかたはご覧下さい。
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webサマリはwebの記事のまとめを集めるサイトです。それはブログを書く事や、トラックバックを書く事とは少し違います。
元の記事があってそれをわかりやすくまとめたもの、要約、それがサマリです。由来はsummaryです。
世の中にはいろんな人がいます。面白い考え方をする人、どんどん発言する人、反論する人、認める人、話をまとめるのが上手な人。
僕はこの「話をまとめるのが上手な人」に注目しました。
どんなにわかりにくいブログでもまとめるのが上手な人にかかれば、読みやすく、理解しやすくなるはずです。
得意なまとめるのが得意な人チャンスですよ!!是非webサマリで貴方の力を存分に発揮して下さい。
面白そうなんだけど長過ぎて読む気になれないブログ、内容が単純にわかりにくい記事、[後で読む]が付いている記事、
これらの記事に対してサマリを作成しましょう。
分かりやすくまとめられたサマリを読んで、ざっと概要をつかんで興味が湧いたら始めてその記事を見に行けば良い。と僕は思います。
逆にブロガーの皆さんはどんどん、長くて面白くて中身の濃いブログを書いて下さい。webサマリで貴方のブログをまとめます!
あなたのMYブックマークのタグは後で読むであふれていないでしょうか?
あなたはブログが長過ぎて途中で読むのをあきらめたことはないでしょうか?
あなたはホットエントリーチェックするのに何時間も費やしてないでしょうか?
あなたは人の話をまとめるのが上手いと言われた事はないでしょうか?
あなたはブログを読んでいる内に結局ブロガーの言いたいことがわからなくなってしまったことはないでしょうか?
あなたはネットで情報を収集する時間を少しでも短くしたいと考えたことはないでしょうか?
「あるあるww」と思ったそんなあなたには是非webサマリを勧めます。
はこの先も絶対相容れることはないと思う。
無断リンク禁止派に「そもそもwebの原則は…」とか「勝手にリンクできる状態なんだから勝手にリンクしてもいいじゃない」って説いても無駄。
「webの原則?っていうかローカル(マイ)ルールに従えよ」とか「出来るからって何でもしていいんですかー?じゃぁ包丁は人を刺せるからって包丁で殺されてもあなたは文句言わないんですか^^」とか超斜め上。
最近のオンラインブクマ騒動(?)の時もヲチスレで「あのブロガーコメント欄で若い女の子に構ってもらえるのが嬉しいんじゃね?」とか挙句の果てには「女に構って欲しいならこんなことせず風俗池」とかいう意見が出ててダメだこりゃと思った。
その意見言った人たちは件のブロガーを気持ち悪がっていたがそういう思考回路の方が気持ち悪いよ。
無断リンク禁止議論を見るたびに「理解しあえるといいね」と思ってたけど
上記のような状態を見て「もう無理」と思った。
だから最近はもっぱら
容認「なっ…いいだろ、素直になれよ」
禁止「イヤだね。やめろ…っ」
容認「だけどお前、ガードゆるゆるだぜ?…ほら…」
禁止「ん…っ、や、やめろって…言ってるだろ…っ。んぁっ」
容認「口ではイヤだって言いながら簡単にリンクさせちゃうんだな…フフッ」
禁止「くやしい…ビクビクッ」
一番被害をこうむるのは善良な閲覧者であることが多いので(無断リンクされたので閉鎖・移転します!とか)
それはちょっとなーと思ったり。
企業並みのモラルを他のブロガーに求めておきながら、自分事になると人でなし並みのモラルですまそうとする。
なんだかご苦労なこったとは思うけど、人間味あふれるなあぐらいにしか思わない。批判されるほど人間味が重量オーバーしたのでもないし。
ちなみに、モラルを他人に説く人でまともな人をみたことがない。見ていて暑くろしいんだな、なんとなく。
僕がいいなと思っている人は、軽く僕はこうしています、と紹介するにとどめて、押し付けがましくはしない。それよりも体現していることは大切なんじゃないかな。たぶん自分の中では厳格なルールをもっているんだろうけど、わざと示さないでおくのがコツなようだ。表向きはオブラートに包んでいるが、かっちりとしているので、何かあっても動じない。それがさらなる評価に繋がる。反対もありで、ジェットコースターのように評価が落ちていく。
けど、ほどほどでいいんじゃない。雑誌は提灯記事ばっかり、とまで言われなければそれで十分な気がする。てか提灯記事だとわかるなら、もうそのメディアは卒業していいのかもな、ぐらいにしか思わんしね。
自分もう四年ほどペンネームで仕事してるんですが、自己紹介の仕方がわかんないんですよ。
「○○(ペンネーム)という名で仕事している○○(本名)という者ですが」って紹介してるんですが周りくどいんですよね。
かといってペンネームだけだと「は?」って反応が返ってくるような名前なんで困ってます。
普段は別にカタカナだろうがアルファベットだろうが好きなハンドルを名乗ればよろしい。しかし、必ずブログのプロフィール欄にフォーマル用筆名も書いておく。プライベート用名刺を作る場合は、当然ながらフォーマル用筆名も入れる。もちろんその筆名オンリーで通したほうがベターではある。さらに言えば、はじめから本名を名乗って平気な人はそうすればよろしい。それはそれで問題ないが、このエントリの対象外だ。
こういうのを卑怯呼ばわりする人もいるのだろうか。沢木耕太郎や山際淳司は「ノンフィクション作家」だが、二人とも筆名である。たとえ、彼らが駆け出しの頃だろうが、この二人に対して、本名を明かさないとお前の書くノンフィクションなど信じないと迫る人がいたか? 彼らよりブロガーが厳しい基準をクリアしなければならない根拠はあるか?
どちらかと言えば見てて痛々しく、
どちらかと言えば、友人はケツの穴のむじな、そんな感じの人が多い。
他人に読ませるつもりなんてないから、
他人の目にどう映るかなんて無関心だ。
それでもインターネットに公開する理由はなんだろうか?
何かかっこつけて論理的に語ってるつもりかもしれないが、
そこにあるのはただ1つ、「自分に対する言い訳」だ。
キモヲタでもいいじゃないか・・・
ブサイクでもいいじゃないか・・・
俺はブロガーなんだ、と。
そう、インターネットに公開することで
彼らはアイデンティティーを保っている。
必死に現実から目をそらそうとしている。
でも、こんなことを続けてはいけない。
もっと世界に出て、現実を見つめろ。
そして、それをブログに書け。
おまえがどう思うか、どう感じるかなんて誰も興味ねぇ。
おまえらホモかって話だ。
ついでに、馬鹿の考察なんて誰もよまねーんだよ、この低学歴が。
でも、そんなキモヲタでも、
そう、それは客観性だ。
気持ち悪い主観で溢れている。
その結果、自己中、痛々しい、ブサイクなどの副作用をもたらしている。
さーて、何人釣れるかな。
元のエントリを書いたものですが。
自分は別にどのブロガーを攻撃しようとかいじろうとか、いちいちつっこもうとかそういうかたちにしたくないので、特に誰と特定せずに一般論としてこういう語尾を使うブロガーはこういうメンタリティが背景にないか、と観察をしただけですが、さっき増田をチェックしたら、そのエントリを投稿してから「たったの三分」で、
別にいいんじゃねぇの? 何か突っかかるほどの問題があるようには思えない感じですかね。
こういうの見ると、必死でつっかかってる側も痛いなあとつくづく思う。 他人にとってはどうでもいいことなのに。心底。
と、脊髄反射的に二人も絡んで来られていたのにはたまげた。しかも一人は早速「感じですかね。」とかわざわざ「してやったり顔」で書きこんでるし。
自分は特に誰を批判するがためでなく、一部ブロガーにはこういう傾向があるんじゃないか?という指摘のつもりでしたが、それにものの三分で突っ込んでくるとは、まさかとは思うが、「自分のことを誰か増田でネタにしておちょくるんじゃないか」とか気にしてピリピリして一分間隔くらいでしょっちゅうリロードしている人がいらっしゃる、ということなのかなもしかして。
もし元のエントリでどなたかの逆鱗に触れたのなら、すみません。そんなに必死になられるほどのことではないですよ。どうでもいいことを書くのが増田なんですから、読み飛ばして下さい。
俺もよく使ってるなあ、「〜ていう感じですかね」。
まあ俺はブロガーと呼ばれるほどの者でもないので、別の人のことを指しているのだと思うけど、
「〜ていう感じですかね」を使う者というのは、本当はその問題に関して明確な意見があるのに、
あえて空気を自分向きに醸成したいがために「〜ていう感じですかね」を使っているのだ、と
思っているなら、少なくとも俺の場合は、全然違うな。
そういう場合、確信が持ててないのはその通りだけど、確信が持てないからといって、自分の考えがないのとは違うよ。
考えが明確にある場合とない場合というのはあって然るべきで、確かにない場合にこういった言い方をするけど、
あれやこれやの話題に首を突っ込んでいたら、そうそう何に対してでも明確な意見なんてないって。
自分の問題に直結して明確になるものなんて、多くても5つくらいじゃないの。
だから、
「本気だとは限りませんからほどほどに読んでね」
は当たってるんだけど、別に保健をかけようという意図ではないよ。
自信のない自分を、そのまま出しているだけ。
某ブロガーの口癖に気がついた。この人、結構憶測でものを言って、そのくせ自分の希望的観測を混ぜてるので論旨があまり論理的でなくって、その辺が実は内心後ろめたくって、自分で自分の言葉に確信が持てないことの裏返しなのかと思うけれども、やたら
??ていう感じですかね。
で語尾を〆る。誰に同意を求めているのか、「感じ」という単語を挟んで曖昧に自分を許容してもらいたがっているのか、こういうのも集団思考のツールのひとつなんだと思う。みんなを自分にとって好ましい「空気」に取り込みたい、その「空気」を誘導したい、そして自分もその「空気」に属したい、自分の考えというものがなくて、だからそれを確固とした主張として展開する意志もなく、みんなで当たり障りがない所に落ち着きましょう、とコーディネートしようというのか仲介しようというのか、とにかくまず、党派的に同調したい。身内で連帯したい。そういう意図があって、各関係者の言い分を予めマッピングして、「今日の自分はとりあえずこのポジショニングで話してみようかと思います。本気だとは限りませんからほどほどに読んでね」と保険をかけないと不安なのか。
さて、話を変えるが、あるいはつながっている可能性もあるが、
サヨク的な人って、「自分はサヨクじゃない」と言いながら、傍から見たらしっかりサヨク的市民運動の行動文法の伝統を受け継いで党派的に動いて情報操作に精を出すようなのはなんでだろう、と思っていたが、これはどうも、まず信条的にその人がサヨクでそれを実現するにあたって後からそういう行動をとるんじゃなくって、なにより先にリベラルぶって自分を良心的であるとか正義であるとか思いたい、自己愛を満たしたい、そのためには情報操作も、印象操作も辞さず、ボロが出るまでは突っ走ります、知り合いはかばいます、ダブスタも使います、そういう人が左に流れていきやすいという面もあるだろう。