はてなキーワード: ケルンとは
その1 http://anond.hatelabo.jp/20081223235800
その2 http://anond.hatelabo.jp/20081224002406
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その5 http://anond.hatelabo.jp/20081224021305
(G-4面下)
「このひと月のような、急速な景気の落ち込みは、これまでに経験したことがない」
11月10日、ブラジル・サンパウロでは、中央銀行の総裁が集まってBIS(国際決済銀行)総裁会議が開かれた。日銀の白川、FRBからはバーナンキの代理でガイトナー(次期財務長官)が出席するなか、新興国の中央銀行の総裁たちは口々に不安を訴えた。
米国発の金融危機は欧米や日本を巻き込み、これまで比較的堅調だった新興国の経済にも深刻な影を落としている。世界同時不況の中、欧米の中央銀行は利下げを繰り返す。しかし、市中の金利はあまり下がらず、金融政策の効果は乏しくなっている。
不況を食い止めようと、世界各国では大規模な財政政策が発動されたり、検討されたりしている。
米国はすでに1680億ドル(15兆円)の所得税還付などを実施し、議会民主党は5000億ドル(45兆円)規模の景気対策を準備している。欧州各国も数兆円規模の景気対策を次々と決めた。各国で、大銀行への公的資金の注入も相次ぐ。
先進国の危機対応では、政府・議会と中央銀行の役割が、基本的には区別されている。政府・議会が景気対策や銀行への公的資金の注入などの「財政政策」を担い、中央銀行が「流動性の供給」を行なう分担だ。
「流動性の供給」とは、銀行などが資金繰りに困らないようマネーを供給することだ。国債、手形、社債などを担保とする金融機関への貸し付けが基本。税金を使う「財政政策」と違って、市場での取引であり、議会の承認という民主主義のチェックをくぐらなくてすむわけだ。
だが、金融危機が深まるにつれ、「財政」と「金融」の間の垣根は、崩れつつある。
FRBは先月末、住宅ローンなどを裏付けに発行した証券化商品を最大8000億ドル(71兆円)も買い取ると発表。個別企業の支援にあたる企業のCP(コマーシャルペーパー)の直接買い取りも始めた。CP買い取りは格付けが高いものに限るなど損失回避の措置を講じてはいるものの、万が一の場合は国民にツケがまわるため、「財政」に近い政策ともいえる。バーナンキは長期国債の購入を検討していく方針も明らかにした。
こうしたFRBの対策について、白川は「かつて日本銀行が採った対応と非常に似ている」という。
日銀も、日本の金融危機の1990年代末から2003年にかけ、ABS(資産担保証券)などを買い取ったり、長期国債を買い増ししたりした。銀行の保有株を買い取ったこともある。日銀が特別融資を行った山一證券は倒産し、最終的には、1110億円もの損失が発生した。これは、日銀の国庫納付金が減るという形で、国民の負担になった。
そして今、日本でも不況色が強まるなか、日銀は、CPの直接買い取りといった企業金融への支援策を打ち出した。支援の規模はFRBほどではないが、質は似ている。日銀は、「中央銀行としてなし得る最大限の貢献を行う」と表明した。
日銀は、どこまで財政の領域に足を踏み入れていくべきなのだろうか。
三つの視点が重要になるだろう。
まず、危機の深さである。日本の不況は深刻になってきているとはいえ、1990年代の日本の金融危機当時や、現在の米国ほどではない。しかし、今後、危機が深まっていくようなら、もっと踏み込んだ対策が求められる。
次に、政府がどの程度すばやく動くか。
金融危機のときには、銀行への資本注入が有効だ。株価下落などで銀行の自己資本がしぼむと、企業への貸し渋りや融資の回収による倒産が相次ぐ。資本注入をしやすくする改正金融機能強化法は今月になって成立したが、なお対策は不十分との見方も強い。政府や議会の動きが鈍い場合には、中央銀行が代わりに動かなければならないケースもある。
第三に、日銀が「財政」に踏み込んでも、後に、本来の道に戻れることが約束されているかどうか、だ。
危機が去ったあとも、政府が中央銀行を「便利な財布」として使い続ければ、やがてもっと大きな弊害を招きかねない。戦前、政府が日銀に国債を引き受けさせて戦費を調達したのは極端な例だとしても、紙幣をいくらでも印刷できる中央銀行が、政府の意のままになってはならない、というのが歴史の教訓だ。
中央銀行がリスクのある資産を買い取って財務が悪化すれば、その国の通貨の信頼が落ちる危険も増す。FRBの資産・負債は急膨張しており、ドル暴落の危険もささやかれる。危機脱出のためにやむをえないとはいえ、米国の政策運営は綱渡りである。
経済のグローバル化で相互依存が進んだことで、中央銀行の判断はさらに難しくなっている。日本の低金利政策は、世界的な低金利に連動していた。米国などが当面の危機脱出のために「何でもあり」の政策を取るのなら、日本も同様の手を打つほうがいい、という考え方もある。
ただ、ここ20年、世界各地でバブルが起き、崩壊するたびに、超低金利や大胆な財政政策が実施されてきた。そのことが経済のゆがみや膨大な財政赤字を招いている側面は否定できない。カンフル剤に依存すればするほど、いずれは別の種類のバブルやインフレ、大不況といった副作用をもたらしかねない。
「日銀は、学習し、実践する組織でなければならない」。そう語る白川は、過去の歴史から何を学びとり、どう行動していくのだろうか。■
注: 欧州中央銀行の金融政策を決める21人のメンバーの中に、ドイツ、フランス、イタリアの各総裁が入っている
中央銀行 | 総裁・議長 | 年齢 | 主な前職 |
米連邦準備制度理事会(FRB) | ベン・バーナンキ | 55 | プリンストン大教授、FRB理事 |
欧州中央銀行(ECB) | ジャン・クロード・トリシェ | 66 | 財務省国庫局長、フランス銀行総裁 |
・ドイツ連邦銀行 | アクセル・ウェーバー | 51 | ケルン大教授 |
・フランス銀行 | クリンチャン・ノワイエ | 58 | 財務省国庫局長、ECB副総裁 |
・イタリア銀行 | マリオ・ドラギ | 61 | 財務次官、ゴールドマン・サックス欧州拠点副会長 |
イングランド銀行(BOE) | マービン・キング | 60 | ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)教授、BOE副総裁 |
カナダ銀行 | マーク・カーニー | 43 | ゴールドマン・サックス・マネージメントディレクター、首席財務官 |
ブラジル中央銀行 | エンリケ・メイレレス | 63 | フリート・ボストン・フィナンシャル国際部門担当役員 |
ロシア中央銀行 | セルゲイ・イグナチエフ | 60 | 大統領補佐官、第1財務次官 |
インド準備銀行 | デュブリ・スバラオ | 59 | 世界銀行エコノミスト、財務次官 |
中国人民銀行 | 周小川 | 60 | 証券監督管理委員会主席 |
男の人について疑問に思ってること
http://anond.hatelabo.jp/20080703203447
に対して、
50歳のオレが増田女に答えてみる - finalventの日記
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20080704/1215132261
とか、
http://d.hatena.ne.jp/takerunba/20080704/p5
とか、
23歳の俺が、増田女が男の人について疑問に思ってることに答える - タイトルかんがえ中
http://d.hatena.ne.jp/ki2neko/20080704/p6
とか来るわけさ。
で、それぞれを読んでみるに、世代的なものも含めてそれぞれに納得がいってみたりもするんだけれども。
一番最初に、元ネタに腹が立っているわけさ。
「男」ってくくりでモノを言われちゃあ、リアクションが人によって異なるのはわかりきってることじゃない?
逆に言えば、エビちゃんみたいにスタイリッシュを追い求めている一群と、仕事とか友人付合いを充実させようとガンバっているリア充志望と、オタクだったりニートだったりする「すべてはこれから」な人たちを十把一絡げに「女は」ってくくりで言われたって、そこに共通項はないじゃない。
同様に、「男」ってくくりでモノ言われたって、いやそれもあれもいっしょくたに言われたってねぇ、みたいな気になるんだよね。
だから、年齢とは別に、自分と異なるカテゴリの「男」を弁護する気もないわけで。
痴漢で捕まった人たちとか、スーパーフリーな人たちとか、睡眠薬飲ませてまでどうこうって某代理店な人たちの気持ちなんかわからない。
たまたま性別は同じだったかもしれないけど、異性をどう捉えるかとか、どう対処していくかってところで、どうにも同意も許容もできないのさ。
ので、元ネタの人には、できたら「男全般」なんてくくりではなく、「あの人は」とか「この人は」とか、個別に分けて判断していただきたい気が強くする。
メインで言いたいところは基本そのあたりなんだけれども、せっかくなのでそれぞれの疑問にも答えてみる。
>>1,男の人の性欲は女よりもずっと強いと言うけれど、<<
ええっ?私の知ってる限りでは、女性の性欲の方が強い。つか深い。
他のことを考えられないくらいナニで頭が一杯、なんて男にはお目にかかったことがないなー。
している最中に引っこ抜いて射精をあきらめる、くらいのことはふつーできるように思うんだけれども。
そういう局面で自制できないような男を、私は軽蔑する。
>>なんで自分で処理できるのに、風俗に行くんですか。<<
たぶん「女性」を慈しみたいからだと。一時でも、金がらみでもいいので、癒されたいんではないかと。
不潔とか病気怖いとかっていうのは、その職業に従事している人を見下してるから言えることなんだと思う。
(衛生的にはそこらの素人さんとりよっぽどきれい。感情的な「不潔さ」については否定はしない。)
自分は若いころ、それなりにお世話になったが、一時であれ「付き合ってくれてありがとう」と未だ感謝の念を持っている。
>>ついムラムラして痴漢とか(中略)同性としてどう思うんですか。少しでも同情しますか。<<
無理。
あれは女性を人間ではなく「性欲対象のモノ」として認識するからできるんだと。
そんな認識しかできない人たちがいることも知ってはいるが、そういう人たちと同列に語られるだけで不快。
>>性欲はスポーツや趣味や仕事にうちこめば、昇華できるんですか。<<
個人的な感想としては、「そんなこたぁない」。
そもそも代替行為で昇華させるのではなく、悶々さは抱えてかつ我慢すべき事柄だと思うし。
でなければ、スポーツや仕事で充実できなかったから性欲が暴走した、という言い訳が正当に成り立ってしまう。
嫌でしょ?私だって女性を襲った言い訳にそんなこと言われたって納得できない。
単に、「犯罪を犯す奴ぁあらゆる言い訳をしながら犯罪を犯す」だけなのではないかと。
>>女性を見てドキドキするとき、その人に愛情をもってるのか、ただ性衝動につき動かされてるだけなのか、区別できますか?<<
これはせつない質問だなー。
私は若いころ、「いいなー」と思う人がいても、ひょっとしてやりたいだけなのかも、と自分を信じることができずにDTな期間が長くあった。なんだかセクシーさで引かれてしまうのは相手の女性に失礼なような気がして。
性的な魅力も含めて女性を好ましいと思ってもいいんだ、と思えるのにずいぶん時間がかかってたよ。
ので、今現在は、愛情も性衝動もいっしょくたです。つか、両方を感じなければ「愛している」とは言えないと思っている。
ここを切り離して考えるうちは、付き合おうとする異性を受け入れきれないのではないか。
>>普段澄ました顔をしてても、実はエッチなこと考えてるんだろうなぁ、こいつ<<
ああ、これはめったにわからない。けど、わかってもわからなくてもあまりどうということもない。
そんなことを考えていたらその人の評価が何か変わるのか?と考えると、あまり変わらないし。
それを下品に外側に出すとか、そのせいでなすべきことに支障が出るんでなければ、たとえば「嫁さんと今晩はステキになるんだー」と考えていたってまったくかまわないというかむしろ健全。
そういうところに不快を覚えるんであれば、「自分なりの不快ではないエッチっぽさ」をはっきりさせ、それに合うエッチっぽさを持つ男性を探すのがいいと思う。
>>男の友達同士で、彼女とか風俗嬢としたことって、どれくらい詳しく話すんですか。それ、恥ずかしくないんですか。<<
連れ立ってソープに行くとか、相手してくれた女性を評価するとか、いろいろしてたなー。
そして私は、そんな感性を実に胸くそ悪く思っていて。
でも、女性同士の会話でも、昨日の彼氏はどうだったとか、平気で語っちゃう人たちもいるわけで。
元ネタを書かれた方はたぶんそんな会話に参加されたことはないんだろうと思うんですが、そんなジャンルの人たちとまとめられて「女ってのはよー」と言われて納得できるのかな。
私としては、「男」の一人一人に共通項はないように思う。みんな別々。
>>エッチあまり好きじゃない彼女とか奥さんって嫌ですか。<<
これ、どう判断すればいいのかな。
私の奥さんは、正直新婚当初エッチが好きではなく。
でも「一緒に生活したい人間」として実に尊敬・信頼できる人だったので、離婚とかを考えたことはなかったよ。
で、なんだか最近は、奥さんの方が積極的。40を越えて、なにかしら気持ちに変化があったのかもしれないなーと思っている。
私は、自分の奥さんと一緒に暮らしていくことが好きです。
エッチでなくってがっかりしたり、なんだかエッチになってくれて嬉しくなったり。
が、結局、私は「あの人と一緒に暮らせる」のが嬉しいんではないかと。
でも、それ以外にも、例えば「子供の将来を私とは違うスタンスで真剣に語る彼女」とか、「ウマいもん食わせに連れてったらほんとうにおいしそうに食べる彼女」とか、尊敬できたり慈しく思ったりできるポイントがいっぱいあって。
私の奥さんへの想いを考えると、どうもそこらへんがすごく大事らしい。
エッチも大事だけど、人間そんな「エッチだけ」みたいな浅いところでは満足も納得もできないのでは。
尊敬もできて信頼もできて、しかも十分セクシー。そうでなければ夫婦なんてやってられないのではないかと。
たぶんあなたが思っているほど、エッチってたいした要素ではない。
逆にエッチだけにウェイトを重く置くような男にロクなんはいないのではないかと。
くりかえすけど。
「男は」、なんて抽象的 & おおざっぱなくくりで考えるのではなく、「あの人は」「この人は」と一人ずつ別々の評価をしていただきたい。
そんな集合記号で考えているうちは、個々の真実は見えてこないように思うんだけれども、どう思う?