2024-08-11

深夜の吉野家

僕は真夜中の吉野家に立っていた。

外では小雨が降っていて、店内の蛍光灯が窓ガラスに映り込み、まるで平行世界入り口のように見えた。店内は異様なほど混雑していて、僕はしばらくの間、ドアの近くで立ち尽くすしかなかった。

目を凝らすと、カウンターの上に「150円引き」と書かれた垂れ幕が見えた。そう、これが原因だったんだ。僕は小さくため息をついた。

150円。たった150円で、人々はこんなにも動くのか。普段吉野家になど見向きもしない人たちが、今宵、この狭い空間に集まっている。まるで、月に一度の満月に吸い寄せられる獣たちのように。

ふと、僕の耳に会話が聞こえてきた。

「よーし、パパ特盛り頼んじゃうぞー」

家族連れだった。4人で吉野家か。彼らの顔には何か特別な日の喜びが浮かんでいる。でも、それは本当に喜びなのか、それとも社会押し付け幸せの形なのか。僕にはわからない。

吉野家は、もっと別の顔を持っているはずだ。殺伐とした、でも何か温かいものがある。向かいに座った見知らぬ人と、いつ言葉を交わしてもおかしくない。そんな独特の空気感。それが吉野家本質じゃないだろうか。

やっとの思いで座れた僕の隣で、誰かが「大盛りつゆだくで」と注文した。その言葉を聞いた瞬間、僕の中で何かが弾けた。

つゆだく。それは今や、過去遺物だ。かつて一世を風靡した言葉。でも、今はもう。時代は移り変わる。人々の好みも、流行も、すべてが変わっていく。

今、通の間で流行っているのは「ねぎだく」らしい。ねぎが多めで、その分肉が少ない。そこに大盛りの玉子。これが最強の組み合わせだとか。

でも、そんな注文をすれば、次から店員マークされる。諸刃の剣だ。

僕は黙って牛丼を口に運んだ。隣では相変わらず賑やかな声が続いている。僕はふと、自分が本当に何を求めてここに来たのか、考え始めていた。

それは牛丼だったのか、それとも失われた何かだったのか。

答えは、きっとこの牛丼の中にある。そう信じて、僕は箸を進めた。

  • AIだな

    • 「吉野家コピペを村上春樹風に書いてください」で生成。 ただしAIは吉野家コピペを知らなかったので、プロンプトに全文貼り付けたうえで「この文章を村上春樹風にしてください」と...

  • 深夜の吉野家ねぇ・・・ タイトルだけ自分で考えたの?

  • ワイは吉野家行かないやで。

  • 本家にはくどいほど出てくる性的描写がない

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