自分じゃなくても出来ることで、全うだからこそ個性がなく、個性がないからこそ多くの人に共感される。
それは心地のよいことかもしれない。多くの人からブクマをもらい、自分が受け入れてもらえたような心地になれるから。
でもそれはあなたじゃなくてもいい。
あなた以外の誰かがつぶやく可能性のある普遍性で、その普遍性のおかけであなたは一時的に受け入れられた気になり、同時に疎外される。
相反するものを求めるから苦しいのであって、躍起になって個性に走ったところで変人扱いされて蚊帳の外扱いになるのが関の山。
人が求める究極の欲求とは結局は代替不可能性で、だからこそ人は結婚し、子を作る。子供にとって親は唯一の存在で、それは親当人にとっても実感できることだから。しかし最近はこれに対する誤解が非常に多い。代替不可能性が仕事のポジションにあるのだと、そう誤解する。だからこそ仕事に熱を入れ「この仕事は私にしか出来ないから」と結婚を後回しにする。仕事において代替不可能性のあるポジション、または人物というのは非常に稀であることを彼らは知らない。
結婚は悪いことじゃないよ。それは個人に対する最大限の肯定だ。増田では基本結婚に対してネガティブな意見が多いけど、そんな彼らこそ救われるためには結婚が必要だと思うんだ。
共感だの肯定だの、どうでもいい。 私は自分のしたいことをしたいだけ。その結果、他者が喜んでくれたらなお良いってだけ。 人が求める究極の欲求とは結局は代替不可能性 過度の...