クィアベイティングは同性愛者やバイセクシャルでない人がそのように振る舞う事を批判してる
逆に言えば同性愛者やバイセクシャルの嗜好がある人間の場合はどう振る舞ってもクィアベイティングにはならないと言う事になる
そこで思うのが同性愛の嗜好を持つ事ってそんなに程遠いものなのかという事だ
例えば同性の人間やキャラクターで自慰行為をすれば同性愛の嗜好になるか?
自慰行為するだけでは駄目で性行為を経験しないとそのような嗜好があるとは言えないのなら
性行為を経験してない人間は皆が無性愛者という事になるだろう…それはおかしい
自慰行為の回数によるのか。それとも特定の人間・キャラクターでのみ自慰行為をするだけでは駄目なのか
一人の人間にしか性的興奮を得た事のない人間を無性愛者にしていいのか?
性欲に基づく物だけでは駄目で愛情も無ければいけないのならば肉体関係だけ求める人達は無性愛者にならないか?
色々考えるとやっぱり同性で自慰行為をするだけでも同性愛の嗜好があると考えてもいいように思う
同性愛者やバイセクシャルに振る舞う人を安易にクィアベイティング扱いしてもいいのか気になって仕方ない
オナニーした程度の同性愛の嗜好しか無い人がそれ以上の嗜好を持っているように振る舞う事が駄目なのか?
その程度の振る舞い程度まで批判していくと多数の性的マイノリティの人間の行動を制限していくようになるんだがそれでいいと思っているのか?
結局はすべての議論が人が同性愛の嗜好を「中途半端に」持つ事を考慮してないから起きる気がする
俺は普通に同僚のかわいめの男とやれって言われたらやれる自信あるなあ