98%を100%と言い切って、2%を引いたあとでそのうち何を引いたのかを95%まで突き止めてから100%分かったので次は大丈夫と言い切る必要に迫られることがある。
技術者として飯を食う上での責任としてそれはどこかしらで訪れる。
そこでひたすら「98%までなら保証します」で押し切るのは難しい。
それは「残り2%まで絞ったので責任は私が持ちます」ではなく、「確実ではないというリスクは貴方が持ってください」にしかならないから。
技術者として飯を食う以上は、100%に近づけられなかった分のリスクを背負わないといけない時が来る。
「責任者は私ですが、私は100%は保証してません」と口にすることこそが技術者の責任だと言い張る輩がいる。
違う。
状況によってはそうせざるを得ない場面もあるが、多くの場合は「確実に出来なかった分は俺が背負う」と腹を括らないとならない。
料理人が客に出す料理に「指が入っていたら御免なさい」と口にするのは許されない。
誰かが指を切った可能性が高まっているならその日は店を締めるべきだ。
もしも先に誰かの口に入ったならその時始めて「絶対にあってはならないことですが、指が入ってしまいました。御免なさい」と謝るべきだ。
平然と店を開けたまま「指が入っているかも知れません」は通らない。
その姿勢が許されるのは実際には作業だけしてほとんど責任を追わずに済む単純労働者のうちだけだ。
言い切れないときに「物事に絶対はないので言い切れないのですが」を使うな。
それは技術的な態度ではない。
見えない可能性に目を瞑って100%と言い切るべきか、見えない可能性を見える形に近づけてちゃんと潰しこむか、技術とはその二択なんだ。
いつかは100%を言い切る羽目になる。
自分が飲み込めるレベルまで不確実性を下げようとする執念こそが技術だ。
「物事に確実はないので」を口にすればその心意気は失われる。
その言葉を口にすれば心から技術の神の祭壇は取り壊され、経済や妥協や保身といった神に祈るようになる。
腹を括れ。
技術者と名乗りたいのなら。
😷技術者と名乗りたいと思ったことはないやで
何事も絶対はありませんので100%とはいきませんが、こちらの案で理論上99.999%大丈夫です。