多様性多様性と言っている中でいわゆる音楽の「ヒットチャート」は意味を成すのかと思っている。
昔のように最近の曲を知っていないと話題についていけないこともないし、知らないことであまり馬鹿にされることもない。
「最近の曲を知らないんだよね」という年齢も昔はおじさんおばさんだけだったのが普通に学生が言う。
髭男の曲も米津の曲もAdoの曲も、人気ではあるものの大衆が熱狂して聴いているほどではなく、あくまで多くの人が聴いている曲の中の最大公約数に過ぎない。
最新の曲を知らなくても過去の曲に簡単にアクセスできるようになったし、人気の曲を聴かなくても自分の好きなジャンルはこれだと胸を張って言う人が増えてきたように思える。
「人気の曲」の指標は確かに必要だし、アーティストのモチベーションにつながると思う。
けれど今はCDの大量買いに再生回数の水増し工作など、そのチャート自体がある程度「いじれる」ようになってしまっている。
提供元が対策を講じてもすぐに再度抜け道を探したり倍の努力をしてその対策を無にしてしまう。こうやってチャートもぐちゃぐちゃになっていく。
いや、意味はあるのだけれど、今後更に音楽に対するアクセスがしやすくなり、音楽の価値が下がると同時に、音楽の好みの多様性が広がり、「これが人気です」の指標に人が興味を示さなくなるんじゃないかと思っている。
そもそもヒットチャートとは何かって話になってくるよなぁ さらに言うと、良い曲とは何か?っていう根源的な物を考えざるを得なくなってくる。
増田だけど、あまり良し悪しの話ではなくて、純粋に「人気の曲はこれ」といったランキングに対する興味は昔ほどないよねということですね。 昔みたいにCD売上=人気ではなくて、CD売...
昔はみんな「今最新のヒット曲を知りたい」って感じだったけど、今はそうじゃないってのはあるだろうな。 俺が知る範囲の俺が好きな曲が聞けたらいいっていう。
自分は、サブスクが大きいかな。 音楽は何が人気でもどうでもいいけど、コミックは買うから何が人気なのかがめちゃくちゃ気になる。