2022-12-27

確実に悪影響があっても表現規制をしないのが表現の自由

人死が確実に出るくらいに悪影響があったのにもかかわらず、表現規制されずに長年維持され続けた例が実在する

近藤誠「がん放置療法のすすめ」をはじめとするがんを放置しろという主張だ。

医師という専門職肩書を利用してがん治療を行わない患者を量産した。

こいつの影響で死ななくて良い人間が死んだ例は探せばいくらでも出てくる。

近藤の主張が間接的に大量に人を殺したといってもいいレベルの悪影響があったことは疑いがないだろう。

近年のネット表現規制論で出てくる女性表象規制理屈性犯罪につながる、性差別助長するなどの主張がなされている。

悪質な性犯罪被害者は魂の殺人表現されるように人死レベルの最悪な行動と評価されているものだが、

当然、同等な悪質さとして本当の殺人存在しているわけだ。

本当の人死につながるような悪影響が存在しているがん治療デマであろうと表現の自由として世間で許され

電車内など公共の場所での広告はこれまでも許されてきた。

がん放置療法ほどに悪影響が明確であっても表現の自由で許される国で、

女性表象性犯罪という因果関係が何も証明されてないもの規制をしたいと主張することがいかに狂っているのか法治国家に暮らす気があるなら考えてもらいたいものだ。

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