選択的夫婦別姓というのは実に面白いトピックでこれに対する考え方を見るとその人の頭の良さが分かる。ある意味リトマス試験紙のようなものだ。まず大前提として夫婦別姓だろうが同姓だろうがそれは定義問題に過ぎない。結婚をどのように定義するか、戸籍制度をどのように定義するか、それによって姓を同じにするかしないかといったことが出てくる。
「希望する人の選択肢が増えるだけなのに!」と叫ぶ人は一番頭が悪い。それは論理としては実に弱い。弱すぎて主張にすらなっていない。希望する人の選択肢が増えることが良いことであるかに関して不明なままそれを前提とした論理展開をしているわけだ。希望する人の選択肢が増えるだけだという論理を許してしまうと世の中のあらゆる法律や制度が無意味になる。「誰も損をしない」という主張も明らかに嘘である。損すると思っている人は大勢いるが、彼らの意見が聞かれることは無い。多様性を求める割に多様な考え方を認めない。
一方で選択的夫婦別姓に積極的に反対を示す人も頭が悪い。日本の伝統であるというのは明らかに嘘であるし、戸籍を賛美するのもカルト的ですらある。そもそも選択的夫婦別姓というのは偽問題である。姓があることがそもそもの間違いである。重複する可能性が大いにある名前というものにこだわるのは現代的とは言えない。現状を肯定するのはおかしい。
肯定しても否定しても頭悪い判定ならリトマス紙ちゃうやんけ