どんな表現でも許されるっていうのはフィクションの名を借りて明確にこれだと分かる実在の人や組織やらを誹謗中傷するのでもない限り方向性としてはそうだと思う
だってぱっと思いつく一番悪い事である殺人だって自由に描けるんだから そしてフィクションの中での殺人を現実の法で裁こうとする人は居ないでしょ
さらに言うならフィクションに限らず胡乱な内容のエセ科学みたいな本だって普通に存在してる
でも配慮を求めてるいわゆるフェミニストって言われてる人たちは現実で不適切だと言われていることをフィクションでも不適切だと言ってる
つまりフィクションの中での殺人を現実の被害を持ち出して現実の法で裁こうとしてるように見える
そもそも配慮ってすごく曖昧な言葉だと思う どれだけの人が問題視したら配慮が必要なのかとかね
今回の話の発端になった広告なんてほとんどの人にはどうでもいい事でしょ フィクションの中で都合のいい異性が描かれるなんて男女問わず基本中の基本と言っていいくらいだし
広告を出したこと自体がって言うなら同レベルの広告何ていくらでもあるしそういうものまで問題視するんだったらもう現実の殺人に対する刑罰のようなものを作らないと無理じゃない?
じゃあゴルゴ13という人を殺す殺し屋の漫画を楽しむことととそれを社会人を楽しませるためって広告を出すのは内心では無いんですかという話をしてるんだけどね
それよく喩えで使われるけど ゴルゴは実際どこを探しても見つからないし存在すると信じてる奴も殆どいないが、 性的に見ることを公言して楽しむやつは実際沢山いるし恐怖を感じてる...
確かに殺し屋は居ないだろうけど殺人事件自体は数としては多くないと言われてるけど実際起きてることだよね 被害者も遺族も存在するしそういう人たちが嫌な気持ちになるから殺人を...
その理屈を通そうとするなら フィクションならどんな表現も許容しなくてはならなくなりますよ。 殆どの人はそんな世界を望んでいないと思うし、殺人には刑罰がちゃんと用意されて...
どんな表現でも許されるっていうのはフィクションの名を借りて明確にこれだと分かる実在の人や組織やらを誹謗中傷するのでもない限り方向性としてはそうだと思う だってぱっと思い...