思想とは下着とか肌着みたいなものであって、無いと困るし、寧ろ無くてはならないものでさえある。
それは我々の生活にフィットして、持続的な快適さを与えてくれる。端的に温かい。
とは言え、人は下着のみで生きられはしない。下着だけで冬の寒空の下に出てくる人間がいれば、それは単なるストリーキングであって、決して知的な衣装を纏った存在ではない。裸の王様から得られる教訓とも関係なく、「必要最低限以上のものを身に着けることは罪悪なのよ」的な命題を導出することもまた難しく、下着のみで世の中を生きようとする人間がいれば、ありとあらゆる謗りを受けることは間違いないであろう。
思想のみを媒介に人とコミュニケーションを取ろうとする者も同様である。人々は下着以外にも幾重にか衣服を着込んでおり、重層的なそれらを伴って生活しているものであって、下着の質についてのみ考えを巡らせ、生きているわけではない。
繰り返すように下着は必要であり、現代人には必要不可欠なものである。あるいは逆に、伊達な一張羅を着込んでいはいても、下着を身に着けていない人間がいるとすればこれまたストリーキングであり、文明から零れ落ちた異端児であるのも間違いはない。
とは言え、逆もまた然りなのである。
思想のみを振りかざし、それのみが大切なものであると宣言することもまた、文明から零れ落ちる契機となるであろう。