2022-02-17

思想とは下着である

 思想とは下着とか肌着みたいなものであって、無いと困るし、寧ろ無くてはならないものでさえある。

 それは我々の生活フィットして、持続的な快適さを与えてくれる。端的に温かい

 とは言え、人は下着のみで生きられはしない。下着だけで冬の寒空の下に出てくる人間がいれば、それは単なるストリーキングであって、決して知的衣装を纏った存在ではない。裸の王様から得られる教訓とも関係なく、「必要最低限以上のものを身に着けることは罪悪なのよ」的な命題を導出することもまた難しく、下着のみで世の中を生きようとする人間がいれば、ありとあらゆる謗りを受けることは間違いないであろう。

 思想のみを媒介に人とコミュニケーションを取ろうとする者も同様である。人々は下着以外にも幾重にか衣服を着込んでおり、重層的なそれらを伴って生活しているものであって、下着の質についてのみ考えを巡らせ、生きているわけではない。

 繰り返すように下着必要であり、現代人には必要不可欠なものである。あるいは逆に、伊達一張羅を着込んでいはいても、下着を身に着けていない人間がいるとすればこれまたストリーキングであり、文明から零れ落ちた異端児であるのも間違いはない。

 とは言え、逆もまた然りなのである

 思想のみを振りかざし、それのみが大切なものである宣言することもまた、文明から零れ落ちる契機となるであろう。

 フェミニズムとかアンチフェミニズムとかありとあらゆる政治思想も同様である

 君たちが文明人としてパンツを履いているのは分かったから、ボタンシャツジーンズジャケットを着るように。

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