フランス人と日本人、美醜の話だけをすると優れているのはどちらだろう。
好き嫌いは別。それは個人に許された自由。あなたの好き嫌いを侵害するつもりはない。
しかし優劣はどうしたってつく。それが人に刻まれた美意識というものだし、それを否定することはできない。
優れている側が劣っているものに対して「劣っている」と表現することは果たして差別と言えるのか。
そこには事実しかなく、生まれ持っての変えられないものだとしても、優れているものは優れているし劣っているものは劣っている。
かといって、美醜だけで世の中の価値がすべて決まるわけでもない。
1個人でも様々な優劣が折り重なり合ってその個人の価値をなす。
先天的なもので変えられないものもあれば、努力で巻き返すことのできるものもある。
フランス人に、「お前らは見た目が劣っている。だからお前らは人種として劣っている」と言われれば差別だ。
しかし、ただ、「お前らは見た目が劣っている。」だけであれば、それは差別ではなく事実に対する指摘でしかない。
それに対し「フランス人は差別的だ。だから人種として劣っている。」と返せば、それは反論ではなく差別だ。
「我々は被害を被った。だから反撃が許されるのだ。」とするのは戦争の理論であり、繰り返すべきではない過ちということを学ばなくてはならない。
それをわからずに自らの差別意識を棚に上げている人が多すぎる。
「お前らは見た目が劣っている。」と言われたところで、
「だからどうした。お前はまだその程度のことにこだわる世界で生きているのか。」
それで終わる話だからだ。
日本人が騒ぎすぎていることを指摘しているに過ぎない。
何でもかんでも差別に結びつけようとする黒人とそれを擁護する人間たちを見て何も学ばなかったのか。
自らに刃先が向いた途端に顔を真赤にして「差別だ!」と叫び始める程度には、日本人は差別に対して意識が低いということにほかならない。