デートDVや「痴情のもつれ」による事件がいくら伝えられても、「恋愛や結婚は自由とは言うけど、やっぱり悪影響はあるよなぁ」とは言われないのよね。
大抵の場合、なぜかそれがポルノコンテンツや創作物の影響論にすり替えられる。
言論が正しいか正しくないか以前の問題として、「問題提起そのものが行われない」わけ。
「どうしても暴力的に見えるコンテンツは、文脈を無視して暴力だけが消費されるかもしれない」
「暴力だけを消費する人の中には、実際に暴力を真似したいと考える人もいるかもしれない」
「実際に暴力を真似したいと考える人の中には、理性のタガが外れていて実行する人もいるかもしれない」
そんなわけのわからないマジカルバナナで創作物の責任を問うという活動は「言論の自由」として正当化されるのに、「恋愛や結婚をする人の中にはDVをする人がいるかもしれない」という当たり前の論理は、決して「だから恋愛や結婚という文化それ自体にDVの責任がある可能性があるのではないか?」という問題提起には繋がらない。
でも「恋愛や結婚に関しては有耶無耶にしていながらBLやお色気コンテンツを性的搾取呼ばわりして投石する」人々の欺瞞は指摘しないわけですよね。 「黒人もアジア人も平等に迫害す...
ごめん真面目に解説して
どこがわからないのかわからないけど。 デートDVや「痴情のもつれ」による事件がいくら伝えられても、「恋愛や結婚は自由とは言うけど、やっぱり悪影響はあるよなぁ」とは言われな...
恋愛やセックスを禁止にしてもなんも困らんよ 単なる宗教だし