有名人の自殺報道を見て友人が「どうして死を選んだんだろう…。」と言っていた。私側からすると、死んでしまいたい理由などいくらでもある、むしろ生きたい理由の方が少ないと感じたので、死に疑問を持つことが疑問だった。
その時に、根がネガティブな人間とそうではない人間は根本が違うことをありありと思い知った。
世の中は「どうして死ぬの…?」と疑問に思えるくらいに生きていたくないという考えを持ったことのない個体が残っていくものだと思う。私はそうではない。だから淘汰してしまいたい。そう思う。思うだけ。
また、誰かが亡くなったことで話してくれれば…のような意見もよく聞くけど、人に話して解消する能力があればしているだろう。
そもそも、悩みを抱えてそれを打ち解けたいかどうかの選択肢はこちらにある。そして、打ち解けずにそのまま淘汰されたいかどうかの選択肢もこちらにある。なので、話を聞いたかどうかの選択肢は相手側に無い。
人に話して、逆にストレスを溜める場合もある。もちろん相手は悪くない、人とのコミュニケーションで感じるストレスが些細なことが原因だ。
「話しなよ。」とか「話したらいいよ。」と人に打ち明けることで解消される性格の人達がアドバイスをしてくれるのは、善意であり決して悪いことではないのだが、「話す」自体に最も苦痛を感じている場合は四面楚歌の気分だ。
結局、人間は「話す。」のコミュニケーションができる性格が生きていける。子孫も残す。それ以外は自然に淘汰されるんだ。
色々な話したけど、そこまで深刻に悩んでないけどさ。悩んでないからこそ、いつでも淘汰されたいと思ってるよ。
死にたいけど苦しいのは嫌なんだよなー。 あと、関係なくなるとは思ってるけど、死んだ後のことがわからんからそれが困る。 自分が死んだ後もこの世界が続くとしたら、何人かは悲し...