例の壮絶最期でいろんな話が出てきてるんだけど
人間意識が鮮明な頃に「私がボケたら容赦なく安楽死させて」と言ったとしても、はてさて本当に認知症になった時の内心が本当に安楽死を望んでいるかどうか…
いざ本当にそうなった時のことなんて誰にも分からないと思いませんか?
他人には見えない内心が「ごめんなさい、あの時はそう言ったけど、やっぱり死ぬのはイヤです。怖い。助けて。やめて。殺さないで」と叫んでいても、「この人は安楽死を望んでいた」と処理される社会ですよ。
うーん、想像してどうなるんだろ?
だって、嫌だという意思を表情や仕草ですら訴えられない状況でベッドにくくりつけられてるのに
生きたいのか?
ただただベットから虚空を眺めるだけの毎日になんらか価値を見出して
膨大な金銭と、家族の幸せな営みや家族愛すら奪う介護を強いてまで、なお生きたいと願う虚像を設けているが
内心がわからん以上二択で
生きたいと願う人間が例え0.0001%でもいるならその可能性を否定できないから殺すなって
すげぇ残酷だよな
正しさで塗り固められた身震いするほどの悪意
安楽死議論って、非現実的で非論理的な絶対反対派が必ず出てくるよね 患者の安楽死によって経済的損失を被る人への保障をどうするかって話までしないといけないのかも。
だよねえ じっさい青葉にガソリンをかけられたら、安楽死賛成の人は自分は死にたくないとか言いそうだし