2020-07-26

幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。

学もなく、技術もなかった母は、

個人商店の手伝いみたいな仕事生計を立てていた。

それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので、

何とか母子二人で質素暮らしていけた。

娯楽をする余裕なんてなく、

日曜日は母の手作り弁当を持って、近所の河原かに遊びに行っていた。

給料をもらった次の日曜日には、クリームパンコーラを買ってくれた。

ある日、母が勤め先からプロ野球チケットを2枚もらってきた。

俺は生まれて初めてのプロ野球観戦に興奮し、

はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。

野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。

母がもらったのは招待券ではなく優待券だった。

チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わなければいけないと言われ、

帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、

外のベンチで弁当を食べて帰った。

電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、

母は「母ちゃんバカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。

俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命勉強した。

新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。結婚もして、

母に孫を見せてやることもできた。

そんな母が去年の暮れに亡くなった。

死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように

野球、ごめんね」と言った。

俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。

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