うつ病と診断されてから三年が経った。治療が終了してからは一年になる。
もともとは完璧主義で自分にも他人にも厳しい人間だった…ような気がする。嫌なタイプだ。友達になりたくないし一緒に働きたくない。うつ病の急性期を抜けてからは(急性期はぼんやりと死にたいと思う以外になにも考えられなかったので)自分は死んで償うべきだという気持ちと自分を許してあげたい気持ちの狭間で苦しんでいたので、あの頃の自分のテーマとして「いかに自分を許すか」ということがあったのだと思う。
自分のような人間はこれがお似合いだと物置の裏のコンクリートで寝たり、自殺は勇気がいる=それだけの勇気を振り絞ったということで自分を許せるのでは、やはり死ぬべきだ、と迷走したり、いろいろとあったけれど、自分が無理ならまずは他人を許そうと決めてからは回復まで早かったような気がしている。あるいは回復に近づいていたからこそ、そう決められたのかもしれない。
他人に対して許容できる範囲が広がるほどに自分のことを認められるようになった。他人の欠点が許せないと自分の中に同じような部分があったときにそれも許せなくなるからだ。そもそも自分に内包されていない欠点は目につかないのではないか…と思っている。
復職してしばらくが経った今は、自分の欠点を他人に晒せるまでになった。こっちは許すからそっちも許してくれと考えている。図々しいし、許せる自分であるためにしてきた努力の全てを放棄している現状はどうなのだろうと反省することも多い。ただ、楽なことは確かである。今まではだれかに助けを求めることができなかったので(欠点の申告と同義に捉えていた)声を上げれば意外と助けてくれる人が多いのだということも初めて知れたし。という覚え書きです。
良かったね!本当にそうよ、情けは人のためならずで人類みな兄弟よ。欠点はあれど善き人でありましょう。
でもキモくて金のないおっさんは人類に含めないから特に助ける必要がなく困っていても放っておくんですよねわかります