2020-01-23

標準に則らない

ベストプラクティス技術標準、技術に限らない分野でもやり方の基準みたいなものは有ると思うけど、そういうもの無視して自己流を貫き通す人の行動。

たとえば、採用事例が少なすぎて誰も触ったことがないフレームワークライブラリなら、「ああ、うまく作るために苦労したんだな」という気持ちにもなるけれど、十分枯れたミドルウェアの設定とかがそうなっていたりするとSAN値が削れる。

あとから触ったときに、なんでこんな実装になってるんだろう…というものがあったときに、引き継いだ人間はその理由から想像しなければいけない分だけ、ロスが大きい。そもそも読み解けない場合もある。

担当者がいなくなっていて聞けない場合もあるけれど、まだ残っている場合になぜそうしたのかと問うたりする。すると、「急いでたから」などという理由が返ってくるのだけど、急ぐときこそ標準に従ったほうがスムーズなのでは?という感想しか持てない。そもそも急いでいたから、って時間あるときに直してないじゃない。

実際にその完成にどれくらいの時間がかかったのかは、当時のことを知らないか判断は出来ないけど、思ったよりスピード出てなかったのでは?という想像も出来る。

そういうものはえてして、技術負債として残ったりする。結局損害の方が大きくなったりする可能性があるのにそういうことをやるのだろう。

…と思って、「このやり方だと技術負債になりませんか?」と尋ねてみたら、「バグがないか大丈夫では?」と返ってきて、技術負債というものへの意識の差を感じたりもして悲しみ。

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