2019-11-28

自分正義を疑わないことの怖さ

ルールというものがあって、それを破ることは許容されることも非難されることもある。自転車走行もそうだ。自動車と同様に左側通行である

とある夕方帰宅の際私は自転車に乗っていた。

この時私はルールを破り右側通行していたのだ。その道は広くなく、歩行者もいたため車道を走っていた。

右側通行には理由があった。我が家が進行方向の右側にあったのだ。次の交差点はしばらく先で、そこまで行くとかなりの遠回りであるため、最短の交差点渡り右側を走った。

あと少しで右折するというところで、向こうからルールを守り自転車を漕いでくる男性がいた。私が車道を走っていることですれ違うには狭いためか、わざわざ自転車をとめて待ってくれているようだった。

謝罪感謝を込めて声をかけようとすると

「逆走してんじゃねえ」

と萎縮必至の怒号がとんできた。

そのとおりだ。そのとおりではある。

ではあるなどと思っている時点で、私の中に不満があることがわかる。  

思考を巡らせて、今私の中にある考えは

「私じゃなくボブ・サップであれば、怒鳴られることは無かったのではないかである

怒鳴られることで反省から事故への嫌悪に変わり、こういう出来事は私の身に起こりすぎているなということ、私の走行は何が最適だったのか、現時点でも理解できていない。

  • どっちかというとアンガーマネージメントの話ではないか。。。

  • 間違ってる上に相手を危険に晒す可能性のあることをしておいて「自分の正義を疑わないことの怖さ」とか言えちゃうことこそ「自分の正義を疑わないことの怖さ」だろ。 考えてること...

  • うんち

  • 主題がどこなのかよくわからないけど、主題が > 私の走行は何が最適だったのか、現時点でも理解できていない。 なら、 >右側通行には理由があった。我が家が進行方向の右側に...

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