ルールというものがあって、それを破ることは許容されることも非難されることもある。自転車走行もそうだ。自動車と同様に左側通行である。
この時私はルールを破り右側通行していたのだ。その道は広くなく、歩行者もいたため車道を走っていた。
右側通行には理由があった。我が家が進行方向の右側にあったのだ。次の交差点はしばらく先で、そこまで行くとかなりの遠回りであるため、最短の交差点を渡り右側を走った。
あと少しで右折するというところで、向こうからルールを守り自転車を漕いでくる男性がいた。私が車道を走っていることですれ違うには狭いためか、わざわざ自転車をとめて待ってくれているようだった。
「逆走してんじゃねえ」
と萎縮必至の怒号がとんできた。
そのとおりだ。そのとおりではある。
ではあるなどと思っている時点で、私の中に不満があることがわかる。
思考を巡らせて、今私の中にある考えは
「私じゃなくボブ・サップであれば、怒鳴られることは無かったのではないか」である。
怒鳴られることで反省から事故への嫌悪に変わり、こういう出来事は私の身に起こりすぎているなということ、私の走行は何が最適だったのか、現時点でも理解できていない。
どっちかというとアンガーマネージメントの話ではないか。。。
間違ってる上に相手を危険に晒す可能性のあることをしておいて「自分の正義を疑わないことの怖さ」とか言えちゃうことこそ「自分の正義を疑わないことの怖さ」だろ。 考えてること...
お前も怖い。
こういう危険な馬鹿には強い言葉でちゃんと教えてあげないと、誰かに怪我させるからね
うんち
主題がどこなのかよくわからないけど、主題が > 私の走行は何が最適だったのか、現時点でも理解できていない。 なら、 >右側通行には理由があった。我が家が進行方向の右側に...