リアルな愛はご都合主義や主人公補正がないからどっちかまたは両方が薄暗いものやらツライ義務やらを背負う(長期的にはだ。短期的には義務や辛さなどない組み合わせに見えることもある)
フィクションの愛はどちらも背負わなくてすむよう世界のほうに補正がかかる
商業化された愛は「どっちも背負ってないですよ」という顔をするために片方がものすごい努力をし、しかもその努力を隠す
(無償か有償かは長期的にみないとわからないが長期的にみて有償でやってることが多い)
フィクションが理想、リアルもフィクションなみをめざさなければならない
と勘違いする読者が増えると
「そのフィクションは商業化推進してませんか」とフィクションに詳しい界隈から指摘や補正が入る
それに対する反論は「フィクションとリアルを混同するバカなんかいません。フィクションはフィクションとして楽しませろよ」しかない。
ここ増田にもなんか個人のヘイト感情と平等を勘違いしてるアホとかしょっちゅういる
まあでも結局のところ好みなんだよな
フィクションのせいじゃない「困り」の発生は必ずある。
すべてをフィクションのせいにするのはさすがにお門違いだが
かといってやめるときもすこやかなるときもと誓ったり「フィクションはフィクションとわきまえた」程度で
困りがなくなるわけでもないんだよな
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