この国ではそれを誤魔化して反転させられがちだが、金があるとは責任から遠ざかりやすくなるということだ。
適当な人身御供に金を握らせて「責任をお前持ちにするから」と金を握らせる行為は、実際この国では平然と行われている。
労働の義務があるのに働かなくていいのは、労働の義務が実質的にその対価(金銭と思っていい)を得ることの必要性によって担保されているせいだ。
しかし、それでは者会に無秩序が吹き荒れるので、富めるものは己の倫理観や富めるもの同士での慣習、不文律などにより、貧しきものとは別の形で義務を負わねばならぬとなった。
これがノブリスオブリージュであり、社会存続のために必要があるから存在する概念であって、ただの綺麗事や努力目標ではない。
力を持つものはそれ相応に義務を負わねばならない。力を持たぬ者たちは、既に義務を負っているのでそれを果たせば良い。力を持つものがそれに不平等を唱えてはならない。もしそれを唱えるのならば、富の均衡により貧しき者たちを貧しさからくる義務より解放せねば平等とは言えないからだ。それを富めるもの自身が拒絶するのならば、己の富が無価値となるような社会の到来を防ぐために、富めるものとしての義務を背負うべきである。
でもお前貴族でも富豪の社会福祉事業家でもないじゃん
遠回しに累進課税を褒めてるのか? なにがいいたいのかわからない悪文