2019-03-28

藁人形呪いを集める

私は左翼が嫌いだ。彼らは彼らの理想の世界を常に希求しているが、その理想を共有できない人間存在を認めない。分かりやすい例で言うと、多様性についての議論がある。彼らは多様性を認めない人の存在を認めない。私は多様性を認めないのも一つの多様性としてある話だと思うが、彼らは多様性を認めない人は多様性ではないとよく分からない屁理屈を捏ねて自分たち理想の世界毀損する存在を認めないのだ。

しかし、ここで一つ疑問がある。私は、この主張をそのまま主張する左翼を具体的に挙げることができないのだ。つまり、私が嫌いな左翼というのは私の脳の中にしか存在しない左翼であり、言うならば藁人形だ。

私は私の嫌いな存在を考えるとき、具体的な誰かではなく抽象化された属性を考える。ここで言うのならば「左翼」だ。

そして、その属性抽象化されるときに私の嫌いな性質がどんどん集まってますます具体的にはこの世に存在しない藁人形と化す。

藁人形に釘を打って何かを晴らした気になる私は愚かだ。

ただ、私は私一人だけが特別に愚かだとは思っていない。

まり、同じように藁人形を叩いている人がいると思っている。

藁人形という言い回しは、元は中身のない、実体のない存在を指すものとして生まれものであろうが、ここにきて人々の呪いを一身に受ける存在としての意味合いも出てきているように思えるのだ。

そんな人形は、存分に叩いた後に燃やしてしまえ。

呪いごと、燃やしてしまえ。

人々が藁人形を叩く呪いは、救いでもあるのだから

実在する誰かではなく、藁人形を叩いているうちはまだ平和なのだよ。

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