正確に言うのであれば、悲劇のヒロインぶる人、男女問わず「この世の中で自分が一番可哀想です」と言いたげな態度や発言に触れることがとても苦手なのだ。
「悲劇のヒロインぶるな」と口にしたことはないけれど、度々その言葉がお腹の底辺りで怒りとない混ぜになって渦巻く。実体があるとするなら、タタリ神みたいな感じ。大体その言葉の矛先は自分に向いているから始末に負えない。他者に矛先が向かってしまえば尚更だ。自分に対して思う分には勝手だが、他者に向かってしまうとそれは攻撃になる。他人の傷口にハバネロソースを塗りたくる真似はしたくない。
そもそも悲劇のヒロインぶるって何だろう?一人ひとりが感じる辛さ、抱える悩みなんて千差万別だし、同じ天秤に載せられるものじゃない。まして他人が辛さを批評する権利なんて持ち合わせていない。
辛い、苦しい、悲しい、やりきれない。本人がそう感じたらそれで良いじゃないか。悲劇のヒロインも何も、それぞれがそれぞれの人生において主人公なんだから村人Aがしゃしゃり出る幕はない。
こんな簡単で当たり前のこと、どうして忘れてしまうんだろう私は。
それでもやっぱり鼻につく態度を取られたなと思うことはある。私の狭量な懐には仏の顔残機が2つしかないから、いつも穏やかに接することは出来ないけど、お腹の中でうごめく黒い淀みを飼い慣らせるくらいには大人になりたいなと思う。
タイトルからどんどんズレたけど、要はこんな感じで「他人の態度で紛動されるなよ」という気持ちと「本当に苦手だこういう態度は!許されないぞ!」という気持ちのせめぎ合いを毎日繰り返している。
許せる人になりたいものだ、何事も。