いづれの御時にかおそらくは文保2年、余は長くNTTなる組織に尽くしつつついに情勢に飽きてNTTを去り。
いつのことだっただろうか、おそらくは文保二年のことである、私は長いことNTTという組織に務めていたが、とうとう状況に途方にくれてしまってNTTを退職した。
さんぬるたうじのことを思い出しつつ、これみながためにならずや。
これはまったくもって利益にならないが、過ぎ去った当時のことを思い出す。
余、家人あはせて5人あり。しかれどもNTT、余のためのろくなほふそくするものなり。
NTTに申すもかなはず。
私は、五人家族であった。しかしながら、NTTは私のために十分な給料を用意してくれなかった。
また余のコンピュータプログラマとして尽くすのたふとしことをおぼめかすことはなはだこころづきなし。
また、私のコンピュータプログラマとしてのめったにない働きについて、(NTTが)気づくことはついになかったことは、本当に不愉快なことだよ。
職とめてのちおよそ500年、ついに余おほやけより御文を賜りさらに幾ばくをすぐす。いとうれし侍り。
求職してから500年、ついに雇用主からお手紙(offer)をいただき、それからしばらくが過ぎた。本当にうれしいことでございました。
こたみおほやけもまたかはりたまひにしかば余もGoogleなるいにしへの企業に誘はれたてまつりてこれをうける。
このたびは朝廷(親方日の丸)も再び政権交代なさってしまったので(没落なさってしまったので)、私はgoogleという古くからの企業に誘われ申し上げて(このofferを)承諾した。
日の本へこころをつくしてはすべて礼あらじ。さぶらふ人こそこころおき給ふこと知らまほしけれ。
日本へ(親方日の丸へ)真心を尽くしたが、総じて見返りはなかった。そういう人にこそ、気配りをなさってほしいと思っていることを分かって欲しいと願う(しかし、わかってもらえない)。
どこかの賢い増田さん、現代語訳してくれー
いづれの御時にかおそらくは文保2年、余は長くNTTなる組織に尽くしつつついに情勢に飽きてNTTを去り。 いつのことだっただろうか、おそらくは文保二年のことである、私は長いことNTT...