2018-07-19

理性と欲求境界はあるのか?

例えば運動したら腹が減る、おっぱいの大きい女の子を見たらムラムラしてくる。

こういうのは食欲とか性欲とか名前がつけられていて、

頭をどうやって働かせても体から振り払うのは難しいものだと言われている。

一方で、3x + 5 = 8 の解がx = 1だとわかる。

こういうのは食欲もおっぱい関係ない。

よっぽどの極限状態に置かれているのでもなければ、いつでもどこでもできる。

俺の認識が間違っていなければ、前者は欲求後者は理性、みたいな用語で呼ばれ、

両者は鋭く対立しているが、いずれも人間特性として否定できないものだ。

では、「絵が好きだ」「音楽が好きだ」こういうのはどちらに属するのだろう。

絵や音楽擬人化した存在セックスしたいわけではないのだから、性欲みたいな欲求ではない。

一方で「好きだ」という理由合理的説明し切るのも難しいと思う。

「昔からそういう絵や音楽に触れていたから」...これは経緯を述べただけでは?

「心がときめくから」...「心がときめく」というのは好きを具体的に言い換えただけでは?

しかに「経緯を述べる」「具体的に言い換える」、これらは理性の中でも最も重要ものであるから

合理的であるとも呼べるのかもしれないが...

数学論理学のような明快さを持っていない気がする。

まあ何が言いたいかというと、理性と欲求を完全な二分法で分けるのは難しくて、

多分両者の相互作用、あるいは重ね合わせで人間は動いているのだ。

から合理的言動をしているように見える人の中にも実は欲求が渦巻いていることを認めたり、

野蛮な言動をしているように見える人の中にも実は理性が働いていることを認めるのが大事だってことだ。

  • 理性とは、欲望を叶えるための道具である。 最初に有るのは欲望で、その欲望を叶えるために、 欲望を正当化したり、合理的な解決策を考え出すのが理性。 この順番を勘違いすると...

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