なぜ私は作品に洒落たタイトルがつくのを諦め説明調タイトルを愛するようになったか
今どきさあ、タイトルと表紙で内容が推察できない作品をつくっていいのは、
メジャー誌連載作品か、既にヒット作のある実力作家か、作品内容でガチンコ勝負して
このマンガがすごいや本屋大賞に参戦できる自信大アリな人だけでしょ。
デゾルドルと同じ史実ベースのヴォルフスムントやディーブチーヴァールカだって、
狼の口、乙女戦争と意味の掴める副題があり、表紙の絵で内容の方向性が見える。
デゾルドルが、現代のデスゲームものか、ハイファンタジーか、異能バトルか、はたまた
電子書籍でなく紙の本で、Amazonでなく街の本屋で売れた方が売上スコアが高い。
「乙女戦争」はともかく「狼の口」で理解できるか? 実際には帯もあらすじもあるんだから店頭で見れば分かるよ。 「タイトルがわかりやすければ売れる」というのは甘え。