元々はコミュ障。
だが、タイトルのように言われることが増えた。
自分で話すのが上手くなったとかは思わないけれど、誰かと話したい、話すのが楽しい、話を聞いてほしい、と思うことは多くなった。
①コミュ障の頃
②話すのが苦痛だけどまぁ話は出来るかなという頃
③人と話すのが楽しいと思う今、
それぞれ、思考に大きな違いがあるので書き留めておきたい。
9回面で「2−3」から「4−3」に逆転し、広島の瀬戸内を下すという逆転劇があった。
これに関して、どういう感じ方をするのかということを上記の3パターンに分けて書いてみる。
①コミュ障の頃
そこが逆転したのか
「→感情の起伏に乏しく、興奮にも欠けている。他人事を自分の中でただ消化する感じ」
②話すのが苦痛だけどまぁ話は出来るかな、という頃(この頃は、もっぱら聞き役だった。)
そこが逆転したの??9回の面で、2−3を4−3!!? 凄いなやるじゃん!
「→感情移入したり、自分のことのように興奮して喜んで共感することは出来ていて、それが相槌にもなっていたけれど、やはりどこか消化的」
明秀日立?? 高校野球そこそこ詳しいんだけどな聞いたことないわ、茨城のチームなんだ!
そこが初出場で、しかも9回面での逆転勝利?? 凄くない??凄いわ! やっぱり高校野球ってドラマあるよね!
「→自分で情報を整理したり、自己開示なんかも自然にしている。
しかも、何か情報を得ると、それを誰かに話すようなセリフが自ずと出てくる(ここで言えば、「凄くない??」がそれに当たる)」
何が言いたいかというと、自分の話を誰かに聞いてほしいと思うことが多くなって、そうすると情報も自然とそういう形で整理されていく。
些細なことなんだけど、自分に向けて受信するのか、外に発信するような形で受信するのか、この違いがとても大きい。
ちなみに、
、、、、、とこういう自分勝手にベラベラ喋るだけの、会話のキャッチボールが成立しないタイプのコミュ障に関しては分かりかねます。