昨今蔓延る批評批判に対するフィードバックのなかに、「見てなかったり途中で投げ捨てたのに批判とかw」というものがちらほら見られる。
正直、この返答・ひいてはそこから引き起こされる結果は好ましくないものではないかと思う。
「批判は必ず誠実でなければならない。そこから外れた不誠実な批判は存在が許されない」まで行き着いてしまうとそれはそれで問題ではなかろうか。増田をはじめとして気軽に意見を発信できる時代となれば尚更だ。
ただし「見ないで批判」というのはそれを行う自由こそ保障されねばならないがきちんと見て批判されたそれと比較すると劣るものだ。その辺りの自覚が徹底されていないことが色々難癖つけられる原因のひとつであろうが。要は他人からの「批評の批評」に対する謙虚さの問題である。見ないで批判するにしても以下くらいは常に心掛けねばならない。
・表現するのは自由だが、見て批判されたものに対しては心証諸々の観点においてそれに勝るのは難しいということ。
・見ないで批評すると相手はどうしても「見ないで批評したこと」に目が行きがちになってしまい、建設的な議論の足枷となってしまうこと。
・「見ずの批判に対する(見ずに批判するなという以外の)批判」は見ないで批評するために集めた情報と基本的に同価値であるためそこに(情報源という観点において)バイアスをかけてはならないということ。
建設的な議論は相互の理解があって成り立つもんだろよjk