2017-12-21

宝石の国を見て思ったこ

原作はまだ読んでない。アニメしろ」まで視聴。メモ書き程度。


CG制作されているのがうまくいっている気がする。

宝石が光を受けて輝く感じと硬そうな質感、人体にあるべき重さを感じない、妙に無駄のない動きがより無機質な生物ということを表現できている気がする。

手足の欠損に対しての各宝石たちの反応の薄さがぞわぞわする。

宝石たちは痛みというか不快感は感じているのだろうけど、あっけらかんとしている所が制作側(原作者)が自覚して描いてるな、と思った。

欠損表現は、多かれ少なかれ驚きや恐怖、不快感を持って見てしまう。痛みを想像するし、原始的嫌悪感を私は感じる。

それと同時に、欠けた断面から見える内部は宝石であることと、欠けた手足を持ち、気にすることもなく立ち上がる宝石たちに、妙に昂ぶった気持ちと、違和感を感じる。

不完全な美、人の形をした何か、に興奮を覚えるのか。

溶けてしまったフォスの回ではどこまでが自我なのか、と問いかけられている気持ちになった。

身体が砕けてしまってもインクルージョンのおかげで死なない宝石たち。不死の代わりに生殖をせず、食欲も、繁殖のための性欲を持つこともない。

あるのは睡眠欲だけ。それさえも薄れつつあるフォスは何になっていくのか。




あと、ネット上に挙げられていた原作者インタビュー記事にて、「“はかりしれないほどの光”でも、すべては救えない」という見出しに納得がいった気がする。

最初宝石を狩りに来る月人は、いわゆる天女に姿が似ている。浄土にて暮らす天人の姿を模した月人には、宝石は「救うもの」には入らない。

https://ent.smt.docomo.ne.jp/article/12958

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