友達同士が喧嘩していて、殴られたと怒っている片方から話を聞くとする。
まともな人なら、同情しつつ、もう片方の話を聞いてどっちが悪いか判断したり問題解決の方法を探ったりするだろう。
扇情的なジャーナリズムは、片方の話を聞く前に「あいつひどいよなっ なっ」と意思表明を迫ってくるところがある。
何もしならない立場の人間に、怒りの背景をきちんと説明せず、「お前も一緒に怒れ!」とくる感じがある。
すると、考える気が失せる。
いろいろ調べた結果、最初の友達が同情に値することをされていたとしても、こちらの判断の機会を奪った不誠実さが残る。
もう片方の友達に分があると思っても、それを表明すると話してきた友達がものすごい剣幕で怒るのは想像に難くない。
どっちに転んでも面倒くさい。
人生にもモチベーションにも限りがあって、甲斐のないことに労力を奪われるのは無駄でしかない。
損しかしないやっかいごとを考えるよりも、自分のやりたいことや専門分野に心血注いだほうが余程いい。
だけど、政治問題や環境問題に首を突っ込んで本当にやりたいことがおそろかになるくらいなら、風まかせにするのもひとつの手段だと思う。
もちろん、友人同士の喧嘩はないほうがいいし、あるなら早く仲直りしたほうがい。
だから、問題解決をややこしくするような、怒りや悲しみの同調を強要する報道は早く衰退してほしいと思う。
と、いつも思う。
東日本震災時にニュースで津波への警戒を呼びかける声が落ち着いていたので大した規模ではないのだと思って油断して流された、みたいな話があったじゃん。