前者は笑い話になるけど、後者は「性被害にでもあったのか」というガチ感がある。
この非対称性はあらゆることに通ずる。
「男はつらいよ」に見られるように、男の辛さ、不平不満、被害体験などは
「いやぁ~よく言ってくれました。まったく男が不利な世の中になりましたよねぇ」
と笑いながら話せる風潮が昔からある。いわゆる暴力ヒロインの土壌もここにある。
一方女の辛さ、不平不満、被害体験などはそうはいかない。どうしてもガチ感、悲壮感がある。
その結果が、ネット上のミソジニー普及。笑い話の余地がある方、つまり前者の方が人は安心して見れるので勝つ。在日差別だって、普及したのはネトウヨの「笑いながら在日を差別」するというやり方が功を奏したからだ。
ネトウヨ叩きに対してミソジニー叩きがネットに根付かなかったのも、ネトウヨは笑って馬鹿にできるがミソジニストを馬鹿にするのはどうしても必死な感じになってしまうからだろう。
一方後者は、悲壮感漂う分馬鹿にされ、叩かれやすい。それも男女問わず叩く。日本人は「悲壮感漂う弱者の訴え」が大嫌い、そういうのを茶化すのが大好きからだ。
まじかよ最低だなあんたのなかの日本人