椎名林檎の月に負け犬を聞いていたら、自分の鬱が酷かった頃の心境/感覚に重なったり、思い出したりする部分が凄く多い。
整理がてら少し考えてみる。
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(愛しい人や物、事柄があり過ぎて、それら全てを守り抜くことはどうにも難しそうだ。大切なものが多すぎる私は、世界(世間/世の中/周囲の人々や環境)に今にも見放されて(呆れられて/ついていくことができなくなって)しまいそうだ)
・虚勢を張る気は無いのだけれど、とりわけ怖いこと等ない
((虚勢ではなく、ただ自分の在り方として)周囲の目を気にしたことはなかった/何かを失うのは別に怖くなかった)
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私の鬱は、大切なものが多過ぎて、大き過ぎて、守りたいのに守り切れなかったのが原因だった。平たくいうとお金で解決できる家族の問題だったのだけど、その解決するためのお金を稼ぎ切る前に体を壊して仕事に行けなくなってしまった。
その頃は稼ぎを増やすために都心で一人暮らしをしていた。二十二歳だった。
仕事に行けなくなり、しかし家族にそれを伝えて心配をかけるのも嫌で、とにかく動けなくてもできる仕事を探していた。
来る日も来る日も見つからない仕事と、少しずつ減っていく貯金額、言い表せない孤独感。世の中の枠から外れてしまったような、世間から見放されてしまったような、頼れるものが自分以外に何もないという、漠然とした不安。
元々あまり人の目を気にしないタイプで、財産も持っていないし、失って怖いものなんて何もないはずだったのが、そんなザマだ。