2017-02-07

沖縄のこと

身近に、手弁当辺野古や高江に通う一般沖縄県民複数名いて。自分辺野古テントに行ってみたことが1度ある。

活動とか運動とか苦手でどうにも近付けないけど、辺野古に新基地は許さない、オール沖縄ってやつにシンパシーを感じている。

自分の周囲を見渡すと、多分これが平均的な沖縄人。いや辺野古テントまで行ってるしな、私は左寄りだと認めよう。

けど、その手前のところにいるのが平均的な沖縄人の感覚なのは確か。

基地賛成もいる、ってよく言われるけど。

こんな揉めてもいいことないからそろそろ折れたら?しょうがないじゃん国には敵わない、素直に従った方が。中国怖いしさ。ってところ。

これを賛成とか呼ぶなと思う。諦めだ。

一方。

http://ryukyushimpo.jp/news/entry-383010.html

https://m.youtube.com/watch?v=xFoNoGtJq1E

こういう運動論を見せつけられると。

こういう活動家手法なしに、市民運動は成り立たないのだろうか。

綺麗事しかないんだろうけど。

手弁当仕事しながら休みに通う人だけでは、反対運動にはならないのか。数にはならないのか。

こうやって数になるから報道されて、こういう問題があることを世に問うことができるわけで。

感謝に近い気持ちも持っているけれど。

なんか極端なところに引っ張られて、沖縄自体は置き去りにされてるんじゃないかって恐怖。

普通の”沖縄人の悲しみ、危機感は、“普通の”日本人にはもはや届かないんじゃないか、って絶望

自分シマのことは自分で。

私のような他力本願沖縄人が行動すればかわる、ってことだよな。

読み返してみてちょっと反省

  • 遅レスだけどたまたま目に入ったので “普通の”沖縄人の悲しみ、危機感は、“普通の”日本人にはもはや届かないんじゃないか、って絶望。 確かにアイデンティティとか抽象的なこ...

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