誤解がないように言うと、地雷は誰でもあると思う。僕にもある。
目に入れたくないし情報も欲しくないと思う。思いつつ、一方で安心を得ている。そこに自分とまったく違う世界があるから。
僕ははっきり、その世界が苦手で、まあ嫌悪しているんだけども、だからといってなくなれとは思わない。自分に都合のいい世界が怖いから。
自分に都合のいいだけということは、ぬるま湯と同じで、なんの刺激もない。居心地がいいので抜け出せない。
けれど面白いものや、びっくりするものは、多分都合のいい世界ではなく、それ以外の場所からやってくると思う。
なんで驚くのか。新しいからだ。なんで面白いのか。自分にない要素だからだ。
そんなことないという人は、他人の意見をシャットダウンし過ぎに思える。
自分に都合のいい世界には、新しいものが無い。都合がいいということは、コントロール下にあるってことだ。
ぬるま湯の中では、自分の境界があいまいで、まるで周囲も自分のように思えてくる。そうすると世界は自分になる。
地雷がありますと口にして、人と関わる時にもそれを押し通す人は、人をシャットアウトしているんだと思う。
強要的な態度に思えて怖い。
人から温かいぬるま湯だけを注がれたいのなら、そんなことは無理だから、引きこもるしかない。
他人と自分の差異を認められないのなら、ひとりでいればいい。でも人間だし、ひとりは寂しい。
まったく違う、不愉快や驚きを含む世界が存在しないことには、人は自分の立ち位置すらわからない。
誰かが好きというものを、地雷の一言で攻撃してしまうのはあんまり思考停止な気がして、話し合っても分かり合えなさそう。
それでもいなくなれとは思わない。きっとそこに共鳴して、生まれるものもがある。
僕は寂しいからです。