2016-08-28

親の責任、子の責任大人責任境界線はどこなのか

まだ考えがちゃんとまとまってないんだけど。

考え始めたきっかけはこの記事

「(息子の)異常な性癖は?」という記者質問は、母親を苦しめるだけの残酷ものしかない【追記あり】(園田寿) - 個人 - Yahoo!ニュース

http://bylines.news.yahoo.co.jp/sonodahisashi/20160827-00061553/

この事件とは関係ないんだけど、「親を苦しめるだけの残酷ものしかない」って言い方だと、「機能不全家庭を作ってしまった親の瑕疵責任が免責される」ような印象を受けてしまい、モヤモヤする。

機能不全家庭で育った私からすると、「機能不全家庭で育ったことに起因する私自身の社会的欠陥の責任は、家族にもある」という解釈になる(法的ではなく、その記事にあるように「縁座制」的に)のだろうか?でも、犯罪レベルになると「縁座制」が出てくるけど、犯罪にならない限りは「縁座制」の概念が出てこない気がするんだけど。つまり犯罪より手前のことはすべて、成人したら本人だけの責任になり、つまり親の「機能不全家庭で育ててしまった責任」が、免責されるように見える。

土壌も肥料も日照も不十分で、まだ葉も枝も幹の太さも足りてないのに、立派に育った木と同じ責任と期待を背負わされるのって理不尽だし、無理ゲーじゃないですか?機能不全家庭手当て、または被害者の免責・減責が必要じゃない?

犯罪を犯す手前の場合儒教思想的な、年上を敬え思想が出てきて、「親を悪く言うな」「いい年して親のせいにするな」って考えが出てくるのかな?

でも、犯罪を犯したとたんに、成人した子であっても「親のせい」の考えが出てくるのはなぜ??

その境界線は何?なんかよくわからない。

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