2016-05-08

史記の方の馬鹿馬鹿問題を考えよう

史記馬鹿故事。時の権力者宦官趙高)が鹿を馬といい、鹿だと反論してきた人を処罰し馬だと話を合わせた人を重用したという話。これは現在よくつかわれる馬鹿語源っぽいが意味は違うものだ。個人的にはこの故事の方の馬鹿がかなり重要でこの意味のままで語り継がれる必要があると思う。これを馬鹿問題としたい。

というのも鹿を馬と言う機会はけっこうあるからだ。身近には学校でだれかのどこからかついたあだ名を呼ぶか呼ばないか馬鹿問題のものだろう。ネットスラングなんJ淫夢の根幹もそれだと思う。ネトウヨとか団体員は馬鹿問題意見が分かれてはダメ統一する必要がある。これは別に特殊なことではなく普通会社員組織人もそうしている。

この馬鹿問題をどう解決するべきなのかを語られてるのはあまり見たことがないと思う。論語の子路第十三の正直者の話ではあえて鹿を馬と言うことも大事だと説いてるようにも解釈できる。この章は有名だし、日本では鹿を馬ということを肯定してきたと言える。じゃあ冒頭の趙高のケースではどう行動するべきなのか?非常に難しい。

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