2015-09-06

謝ると死んじゃう病の人について

あの人たちは、すべての反論をいなしてかわした気になっている。

ディベート技術のようなもので、反論できず「ぐぬぬ」となったり、非を認めると「負け」である

ここで言う「負け」はあくまゲームの中の勝ち負けのことで現実的に正しいとか、皆が納得するということとは別である

から非を認めずに、常に口を開いて反論への反論(しばしばそれは悪あがきや言い訳話題そらしと同じである)を続ける。動き続けていれば「負け」ではないのだ。

マグロが泳ぎをやめると死んでしまうように、彼ら彼女らも議論をやめると死んでしまうのだ。

マグロ、ご期待ください。


自分が「負け」のポジションに落ちなければ、維持できると考えている。その過程で信頼を失ったり、怒りを買ったりしているのだがディベートゲームにはそんなパロメータはないから安心だ。


そんな生活をしていて大丈夫かと思う人もいるだろうが、大丈夫だ、問題ない。

学生時代会社の友人のなかで付き合いが続く人は、彼ら彼女らのそういう一面をわかったうえで踏み込まない。

結婚して家庭を作ってしまえば多少疎遠にもなるだろう。


信頼されなくても生きていける。能力や縁とかでそこそこのポジションにはおさまってしまう。

どこかの長とかの変てこな発言を見れば「ネットで言われる正しさ」が世の中での出世やらにあんまり関係ないということがわかるだろう。

結局誠実であるということは、個人の心がけの問題であって、無視しても生きていけるし、それでしっぺ返しを喰らわない人もいる。

少なくともネットがなかった頃は確実にそうだった。


これからどうなるのかは、僕には分からない。

  • ぼくの気に入らない反論は悪あがきや言い訳、話題そらしと同じだもんなわかるわかる ネットとリアルがすべて同じだと捉えてる脳の人ってお薬必要なんじゃないの

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