佐野氏のオリンピックロゴ問題が糾弾され、そこから氏のかつての仕事への指摘が相次いでついにはNHKに報道されるにまで至ってしまった。彼にある程度の非は認められるかもしれないが、それにしても彼への批判は後をやまない。これらの問題はある時代を思い起こさせる。そう、「魔女裁判」の時代だ。
魔女狩りは本来言われもない超自然的な能力を持つといわれる魔女を吊し上げ、狩り、処刑したり幽閉したりする活動だった。もちろん、それを行う施政者が居てこそ行われてきた活動では会ったが、それ以上にポピュリズムに基づくゆるやかな恐怖がそれらの活動を指示していたことは間違いない。
一方、ネットで今行われている活動は「反社会的」な対象を『魔女』と仕立てあげ糾弾する活動だ。なぜ魔女裁判、魔女狩りと近いかと言う話を言うかというと、それが「反社会的」であり「法律的に問題がある」かどうかは彼らにとってまったく意味を成さないからだ。「反社会的」に映る要素が一つでもあり、それらが他の民衆の支持を得ることが出来さえすればこのスキームは成り立ってしまう。
一度「魔女」だと糾弾されてしまったら彼らは「魔女」になるのであって、「魔女」を援護する人も「魔女」になると言われてしまい、周りの人も援護することもできなくなってしまう。魔女を糾弾するのは力を持たない一般民衆だ。彼らは日々のストレスや自分の弱い立場、かつての苦い経験などを元に「魔女」を糾弾し続ける。彼らは何も持たないのだから、自分が魔女にならなければいい。魔女を糾弾する記事をかけばアクセスや視聴率が得られるのだから、メディアもそれに乗っかる。
グラフィックデザイナーのSNSでは「何をいまさら・・・」っていう感想です。 ある程度 実力をつけて企業コンペに望んでも、競合参加業者リストに「S野」の名前を見つけたら 「...
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