2014-09-11

自然生き方

他人

まり自分にとって、申し訳ないけれども、気持ちが遠い人。生まれも育ちも違う、心から一緒に笑い合うことが、たぶんできない、

何かの間違いで、一時的居合わせることになった人。

そういう人のために、自分の自由を制限したり、配慮したりしなければならない。

それは、いつだって辛かった。

恋人。同郷の友達とか、おなじ趣味、おなじWebサービスを使う仲間たち。

そんな皆の気持ちを推し量ることはできるし、自然だ。

赤の他人に対しては、そうではなかった。

自分もいつかその人のようになるかもしれない。だからから、その人の気持ちを考えておこう。」

そんな風に生きるのはハード

「わたしたちの気持ち、一度でいいから考えてみて?」

に対して、

「わかった。やってみるよ。気づく機会を与えてくれてありがとう

と応えられる人は少ない。

自然生き方をしたくないから、私達は住み分けることにした。

痴漢の被害にあってしまうかも。痴漢に間違われてしまうかも。そういった不安から開放された。

みんなと一緒に楽しく笑う写真が行き交う場所があって、帰りの遅い夫の愚痴を言うことが許される場所がある。

誰もが皆、その時にいるべき場所、ふさわしい場所へ収まる。

こころ平穏が訪れる。

もう誰にも迷惑をかけなくていいし、迷惑をかけられる気持ちを想像しなくてもいいんだ。『同情』から解放された。

住み分ける。

から、健常者と障害者住み分ける。誰もが堂々と胸を張って生きる。それが出来る。そんな社会を目指して。

だがそれが理想でいいのかよ。

モヤモヤするぞ

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