統計学の講義では、とにかく統計のウソを見ぬくことから始める。
だからこのような発言について、ウソかほんとか、見抜けるようになろうね、と教わる。
まあ統計学の講義でなくとも、日常生活でこのように考えるようになった人はいるだろう。
最近気になるのは、統計的な表現が出てくる日常会話に、統計的正確さを持ちこもうとする人のことである。
「日本人の3割が水虫」というのがウソなのか本当なのかあまり重要でない場面で、である。
統計的表現が出た途端、とにかく統計的に正確(のよう)でないと気がすまない。
例えば上の発言が単なる労いの言葉だった場面でも、3割もいるわけない、いやもっと多い、
もっとひどいと、「根拠もなく数字を出すのは云々」「話の主語が大きすぎる」「普通に労えばよいではないか」
彼らの多くは別に、正確なデータ等どうでもいいのだから、質が悪いし、よほど馬鹿らしい。
ただ相手を論破?攻撃?したいというきもちが止められないだけみたいに見える。
統計値が重要な会話については勿論指摘は会話として当然の流れだけれど、
比喩表現のひとつだな、というものにまでネチネチとこだわっているのは、単に読解力がないからなのだろうか?
あるいは、比喩だとわかってなお、ネチネチとこだわらざるをえない何かがそこにあるのだろうか。
話の本質に関係がないのに、安易に統計的表現がおかしいとこだわりだす人、読解力とかコミュ力がないんだなと見えてしまうと思うんだけど。
俺は「日本人の定義を教えて」かな
ぬうわ