中学生の頃、何かと「100万円くれ」と言う同級生がいた。そいつと俺は別に大して仲良くない奴である。
別に俺の家は金持ちでもないし、そいつも最初は冗談で言ってたと思うし、というか単に「おかねほしい」程度のバカ発言を俺に浴びせてただけだと思う。
最初だけ「嫌だよなんで俺が100万払わなきゃダメなんだよ」と反論したら、逆ギレされた。
例え論理不明でも、支離滅裂でも、何の理由がなくても、切れられたらほんのわずかばかり罪悪感が生じたのは事実である。
その後も冗談めいたそいつの「100万くれよ」発言に対して、無視か「はいはい」程度の反論で収めていた。
そのためそいつのバカ友達も一緒になって俺に100万を要求、ではなく、何故か俺が100万そいつから借りた事にされて「100万返せ」と連呼してきた。
これ以上この騒動が加熱したら、俺はマジで100万払わなければならないと、本気で思った。
幸運なのは、そいつがその「遊び」に飽きたらしく、ある日からすっぱりとその「督促」をやめたことだ。
あれから10年以上経つが、今でもそいつの家に100万放り込んでやろうかと、たまに思う。
別に100万が惜しくないような金持ちになったわけでもない。むしろ惜しすぎるほどの大金である。
でも、そうしようと思えるのは、それを見た今のそいつが「ああ昔そんな悪い事を〇〇に対してしてたな、悪かったと思う」とポストの中の100万をみて思ってくれれば俺の気持ちも晴れるが、
無論そんな話になるワケがない。そんな皮肉がわかるはずもないし、そもそもそんな事覚えてるはずもないだろうし、
さらに俺の存在も忘れてるだろうし、最悪警察にも届けず100万を黙ってありがたく頂戴するのは目に見えている。
それからの俺は、理不尽な怒りをぶつける人間に対しては、とりあえず謝っている。
それで俺の立場が悪くなろうとも、無実の罪で会社をクビになろうとも、知ったこっちゃない。
全部俺が悪いことにして、俺がいなくなって問題が解決して、あとはウヤムヤになればそれでいい。
死ななきゃなんとかなる。