2013-06-20

好意を持つことと触れ合うこと、恋愛

随分と勝手なことを考えている自覚はありながら、思いのまま。

 付き合っている人は大切でかわいい人で、きっと、あの人にとって私が隣りにいるほうが、生きていきやすいだろうと錯覚する人。長年一緒にいるからか、傍にいることが当たり前の存在だ。けれどもしも、あの人が私以外を選んだ、と告げられたら、理由を聞いて、納得さえできれば、そっか仕方ないね、と言ってしまいそうだと思う人でもある。

 私にとっては大切だけれど、あの人が一番しあわせを感じて生きて命を全うできる選択が別れなのだとしたら、恐らく寂しいとしても、きっと提案を飲んでしまう。

 仕事上でパートナーとしてここ数年組ませていただいた方もまた、仕事という場を限定してではあっても、付き合っている人と同じく、大切で、かわいい人で、そして私が隣りにいるほうが、生きていきやすいと錯覚するひと。仕事以外、例えばプライベートを壊すつもりは毛頭ないけれど、出来れば、抱きしめて頭を撫でて、頑張っているねと伝えたくて仕方ない。そこから何かしらが、万が一以下の可能性であったとしても、それは互いにとって、恐らく、互いのプライベート仕事とも異なる次元の話でしかない。狡猾であるとか、配慮がたりないのではなく、たまたま異次元だとしか説明しようがない。まあ、有り得ないか妄想は自由だ、というレベルだけれども。

 とはいえ、悲しむひとや失うことや心苦しさがあるのでは、という想像をして、プライベートを振り返り、そんなことを負うくらいならば、異次元かいま見る選択肢は無に等しいのが大半だろう。それでも、と私が思うのは、狡く見えるのかもしれないけれど、付き合っている人も、仕事上のパートナーも、どちらもそもそもの次元が違うから甲乙つけようがないから、に他ならない。

 どちらも好きな人で、大切にしたい人で、甲乙どうこうの次元じゃない。どちらかを選べといわれても選べない。どちらも存在していることが当たり前でしょう、ということしか言えない。なぜ選ばなければならないの、ということを問いたくなってしまう。そして、なぜ肉体的な接触を介入させたいと思った途端に、強制的に誰かを選択せよと迫られるのかが理解できない。

 どちらも、違う誰かが(前者はプライベートで、後者仕事で)隣りにいることは許容し難い。けれど、そうでない場ならば、隣りに誰がいても仕方がない。そしてまた、それぞれが、それぞれ知らないところで誰かと肉体的な接触を持っていたとしても、咎めることなどできない。それは、自分も相手もそうだろう。

 良く聞く「不倫」乃至「浮気」という形式になぞらえるなら、自分または誰かが、特定以外のひとと接触をすると相手が悲しむのかもしれないとは思う。けれど、わたしは、悲しむことそのものが理解し難い。感情または感性が狂っているといわれればそうなのかもしれない。それでも、その時どきでその人たちと理解しあいたいと、接触したいと、そう思うのだけれども。

 相手が望むならオープンにして報告をしながら実行するが、まあ、完全に異なる場のひとには分からないように実行するしかないのかな。解せないと思うけれど。

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